私がこの間、最も問題だと思ってきたのは、今日もなお福島原発で作業に当たっている人々への自由な取材が認められていないことである。本コラムで以前も書いたように、私は脱原発か原発再稼働かで論争を繰り広げるよりも、福島原発を安定化させるために、誰がどのように労力を提供するかを論議することの方がよほど重要だと、今でも思っている。