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都市再生、観光開発は万能か
ビルバオ効果とNYの教訓

2009年06月29日(Mon) YS
「砂漠のルーブル」、契約締結でいよいよ実現へ

砂漠に「ルーブル」、いよいよ着工〔AFPBB News

仏ルーブル美術館のアブダビ別館(アラブ首長国連邦=UAE)の建設が最終合意に達し、アブダビ沖サディヤット島の「砂漠のルーブル」が2012~13年の開館を目指して着工された。

 サディヤット島の文化地区にはルーブル別館のほか、グッゲンハイム美術館なども並行して建設中。巨費を投じて文化観光拠点を築くという、同島開発計画が参考にするのは、美術館が衰退する街を復活させたスペイン・ビルバオの成功例だ。

美術館誘致で都市再生、「ビルバオ効果」とは?

スペイン・ビルバオ
美術館で「再生」、スペイン・ビルバオ

 スペイン北部バスク州のビルバオは、伝統的な工業・港湾都市だ。しかし、経済環境の変化により鉄鋼プラントが閉鎖に追い込まれるなど、急速に産業基盤を失ってしまった。また、分離独立を目指す民族組織「バスク祖国と自由」の活動に伴う、政情不安も懸念材料となっていた。

 悪化するイメージの払拭と再開発を目的として、ビルバオはニューヨークのグッゲンハイム財団が持つ文化資本に着目した。一方、グッゲンハイムも財政危機を背負い、世界各都市との連携に活路を求めていたから、ビルバオからの打診はまたとない機会となった。

 1991年、ビルバオにグッゲンハイム美術館を建設することが合意される。バスク州政府が建設費1億ドルを負担し、美術品の新規取得費用5000万ドルもグッゲンハイムに支給。さらに年間1200万ドルの運営費を補助することになった。

 それと引き換えに、グッゲンハイムは新美術館に「グッゲンハイム」の名称使用を許可し、所蔵美術品を提供。いわば、グッゲンハイムのフランチャイズ化が実現した。ちなみに、ルーブル美術館がアブダビ政府と交わしたのも同様のフランチャイズ契約である。

 こうしてグッゲンハイム美術館のビルバオ別館は、1997年にオープンした。フランク・ゲーリー氏による建築デザインが注目を集め、1998~2006年の来館者数は920万人を記録し、当初予想の年間50万人を大きく上回った。その大半をスペイン外からの観光客が占めている。ビルバオはほかに観光資源が乏しく、旅行客の目的はほとんどが美術館来訪と言われる。抜群の集客力のおかげで、バスク州政府は負担した建設投資額を3年間で回収できた。

 美術館誘致で観光都市として再生したこの成功例は、「ビルバオ効果」と呼ばれ、都市開発の1つのモデルとなった。冒頭紹介したサディヤット島の開発も、これを忠実に継承しているように見える。

「ようこそ恐怖の街へ」、最悪の財政危機に直面したNY

 しかし、都市の観光開発は手放しで賞賛されるべき万能モデルなのだろうか。全米最大の街の経験を基に考えてみよう。

 1970年代のニューヨークは、「アスファルトジャングル」と呼ばれていた。

 多発する犯罪に加え、折からの景気低迷で失業率は上昇の一途を辿った。治安悪化を嫌い、企業のニューヨーク市外への流出が加速したのもこの時期である。それでも、市当局は企業本社所在地として優位性を疑わず、有効な対策を講じなかった。

 ところが企業を失うと、ニューヨークは旅行ビジネスでも大打撃を受けた。海外からの観光客数こそ減少しなかったものの、商用で訪れる出張者の数が大幅に減少。このため、ニューヨークの経済環境は一段と悪化した。

 1975年には当時の市長がデフォルト(債務不履行)の可能性に言及し、ニューヨーク市は最悪の財政危機に直面した。危機対策の一環として市職員5万人の解雇が発表されると、これに反発した職員側は「恐怖の街」なるネガティブキャンペーンを始めた。

 「ようこそ恐怖の街へ―ニューヨーク市を訪れる人のためのサバイバルガイド」。こう題するパンフレットは、市職員の減少で街の治安がさらに悪化すると警告を発した。

 その序文は次のように書かれていた。「(ニューヨークを訪れる人たちに)われわれがアドバイスできることはこれくらいしかありません。事態が変わるまで、できることならニューヨーク市には近づかないこと。ニューヨーク市で犯罪、暴力事件が発生する可能性は驚くほど高いのです」

 しかし、ニューヨークのイメージ悪化が財政危機を招いたのであれば、その改善こそが喫緊の課題になるはず。

 それに気付くと、官民連合によるイメージアップキャンペーンが始まった。その顛末は、カリフォルニア大学のミリアム・グリーンバーグ氏による『Branding New York』が参考になる。1970年代の財政危機を起点としてニューヨークのブランド力を見つめ直し、市が転換を図る過程が詳述されている。

地下鉄から「落書き」排除、強盗話も御法度に

 1970年代初め、ビジネス関係者で構成するロビー団体が「ビッグアップル」キャンペーンに着手した。「ビッグアップル」の由来については諸説あるものの、正式にこれをニューヨーク市のブランディングに活用する最初で最後の試み。ステッカーなどの大量配布が奏功し、「ビッグアップル」の呼称は定着したものの、街のイメージアップ効果は極めて限定的だった。

 ポジティブなイメージの発信を試みる半面、悪印象を与える要素は徹底的に排除された。

 中でも、地下鉄車両に描かれた「落書き」が荒廃のシンボルと見なされ、排除の標的となった(アーティストはエアロゾル器材の改良でこれに応戦した)。また、ニューヨークで強盗被害に遭った話などをテレビのコメディー番組で取り上げないよう、自粛が求められた。

 各種キャンペーンの試みにもかかわらず、ニューヨークのイメージが早急に改善されることはなかった。

 例えば、1970年代には映画撮影がハリウッドからニューヨークに戻り、市当局はその復活を歓迎した。だが、「タクシードライバー」や「狼たちの午後」などに代表されるように、リアリティーを求める当時の映画ストーリーのほとんどが、皮肉なことに都市の荒廃を背景としていた。

「INY」大成功、戻ってきた旅行客と企業

マンハッタンは「再生」したが・・・(中野哲也撮影)

 ようやく、1977年にニューヨーク州とニューヨーク市の連合による「INY」キャンペーンが注目を集め、大成功を収めた。

 誰もが知ることになるそのロゴは、ミルトン・グレイザー氏によるデザイン。その分かりやすさと際立ったメッセージ性、恐らくそれ以上にキャンペーン当初はロゴの著作権があえて行使されなかったため、「INY」は瞬く間に街中に広がった(この方針は1990年代に変更され、それ以降は「INY」の著作権侵害が極めて厳しく監視されている)。

 「INY」キャンペーンは、テレビCMにも登場。観光客向けのほか、ビジネス誘致のコマーシャルも制作された。1978年のCMでは、企業の最高経営責任者(CEO)がテレビ画面に続々登場しては、税制優遇策などをアピールし、ビジネス街としてのニューヨークを激賞した。各社のCEOが「ニューヨークはビジネスに対して本気だ」と語り、CMの最後はもちろん「アイ・ラブ・ニューヨーク」で締めくくられる。この年、「INY」は米国で最も話題を提供した旅行プログラムとして賞賛された。

 一連のブランディング向上作戦と税制優遇措置などが奏功し、1970年代後半から1980年代にかけて徐々に旅行客と企業がニューヨークに戻ってきた。ホテルなど関連施設の稼働率が高まり、市の税収も増加。「アスファルトジャングル」のイメージを払拭したように見えた。

キャンペーンの裏では、大きな「副作用」も・・・

 「INY」キャンペーンは、街のイメージ低下を救った観光開発の先行事例と言えるだろう。しかし、同時に大きな「副作用」をもたらした点を見逃してはならない。

入会資格は「失業中」であること、NYで自助グループが急増

求職者の列(ニューヨーク・ブロンクス)〔AFPBB News

 先に紹介したグリーンバーグ氏によると、イメージアップキャンペーンとともにニューヨークの旅行ビジネスは復興したものの、ホテルや娯楽施設の数とその雇用数は大きく減少している。ホテルや旅行業界で大手企業グループへの統合が進んだためだという。旅行客の数やそのニューヨークでの消費額が増えても、雇用環境はむしろ悪化したのだ。

 また、市の関心と予算が観光客向けキャンペーンに集中する裏側では、社会・公共部門や福祉向けの予算が削減され、市民生活をさらに圧迫した。中産階級の没落と貧困層の増大というニューヨークでおなじみの社会的構図の形成には、「INY」キャンペーンが大きく寄与しているとグリーンバーグ氏は指摘する。

 つまり、一連のイメージアップキャンペーンは、マンハッタンを観光とビジネスの街としてクリーンアップすることに成功したが、そのコストが恒常的な貧困層の拡大となって現れたのだ。

 キャンペーンの下で経済と社会の構造転換が進んだものの、「副作用」も生じたわけだ。実際、「INY」キャンペーンが全米を席巻している頃、ニューヨーク市内のサウスブロンクスなどでは劣悪な犯罪事件が増え、社会問題が深刻化した。

 観光キャンペーンは政治的な議論を招くことが稀だし、法的整備の必要性も少ない。このため、短期的に収入を増やす魅力的な手段と考えられがちだ。実際、観光開発の経済効果は、外部からその地域に落とされる金額によって評価されることが多い。

 しかし、同時にその街の内部でも変化が必然的に生じる。その効果は評価が難しく、顕在化するまでに時間を要することが多い。この点に留意する必要がある。

 ビルバオとニューヨークはともに、危機を通じて街の「再生」を実現した。危機は復興の契機でもある。今回の金融危機は、世界の各都市にどのような転換をもたらすのだろうか。