世界的な「教育危機」による損失、約13兆円 ユネスコ

仏パリ東郊のクロワッシーシュルセーヌの学校で、授業を受ける生徒〔AFPBB News

 この国では、教育行政に関わる人々は、不明確な「日本語」しか使えなくて、意思疎通のできない日本人を育てるつもりだろうか。

 英語を教える小学校で日本語がますます使えなくなる子供を作るような制度の中に、自分の子供を送りたいだろうか。

 英語を早く教え始めれば、みんな英語ができるようになると本気で信じているのだろうか。

 「国際理解」と「英語を習うこと」とは基本的に何の関係もない。「外国語活動」という名の下に、「英語」だけの教育を中途半端に行い、結局は、わけの分からないカタカナ言葉を氾濫させて、かえって日本語の混乱と意思疎通の阻害になってしまうことを認識すべきだ。

早く教え始めた方が身につく、保証はない

 小学生に英語を教えてはいけない理由の第1は、小学校から英語を教え始めた方が英語がより身につくか、その保証が全くない点だ。

 中学校から英語を教え始めた場合と比べて、小学校で教え始めた方が、実際に役立つ国際的な英語を使えるようになる人口の割合が高くなるという実証があったら見せてほしい。

 これまで、この国では中学校、高等学校、そして大学のほぼ4年間を合計すると大抵の場合10年間英語が教えられてきていながら、国際的な舞台で実際に使い物になる英語を身につけた人はそれほど多くないと言われてきた。

 そのせいか、もっと早く小学校から教え始めた方が身につくだろうと考えられているようだ。なぜなら、英語圏の諸国では生まれた時から(究極的に早い段階で)教えられ、そして使えるようになっているではないか、という。こんな乱暴な議論はない。

 中学校、高校と大学の4年間、合計で10年間にわたって英語が教えられてきたのに、実際に役立つ国際的な英語を使える人が少なかった理由ははっきりしている。私は次の3点を挙げたい。

 高校では大学への受験英語が教えられ、大学入試という仕組みの存在がその第1の理由であり、第2は大学でまともな英語教育がなされてこなかったためである。

 第3は、総じて日本の文化は周りから目立ち他人とは違ったことをしたり言ったりすることを抑える傾向にあるためだ。国際会議などでは英語が喋れてもできるだけ話さないことの方が美徳であると考えてしまう。

 結局、国際的な舞台などで自分の意見を述べ、様々な観点から論を戦わすことのできる人を育てていない。