ゴールデンウイーク明けの土日を使って、遅ればせながら東日本大震災の被災地である石巻市、南三陸町、気仙沼市(いずれも宮城県)、陸前高田市(岩手県)を訪ねてきた。知り合いの社長に頼まれた物資を届けるためだ。

 道路は自衛隊や消防、ボランティアの方々の尽力で、一応すべての町に行ける状態になっていた。国土交通省の方にお聞きしたら、「櫛の歯作戦」といい、まず、比較的被害の少ない東北道(国道4号線)を復旧させ、東北道から櫛の歯のように沿岸の都市を結んでいったのだという。

 私が行った時には、櫛の歯の1つとなる三陸道(国道45号線)もかなり復旧しており、その1週間後に45号線が全通したと、ニュースが伝えていた。

想像をはるかに超えていた光景

 被災地に入って息を飲んだ。今までテレビで見てはいたのだが、現地に入って現場に立ってみると、360度に広がる被害の大きさ、奥行き、吹きつける砂ぼこり、油とヘドロと魚の入り交じった何とも言えない匂い・・・。津波の恐ろしさは想像をはるかに超えていた。

津波によって押しつぶされた自動車。仙台市宮城野区にて(参考写真)

 数キロにわたって瓦礫の原が広がっている。あの重いディーゼル機関車が横倒しになっている。自動車がダンゴムシのように丸くなっている、鉄道のレールが引きちぎられて、とんでもないところにある・・・。

 私は阪神・淡路大震災の被災地も見たが、今回の大震災に比べれば、「阪神は大したことなかった」とさえ思ってしまう。被災した家の家財は一応その場所に残っていたし、アルバムを、貯金通帳を探しに行くことができた。「冷蔵庫は少しへこんでいたが、何とか使えた」「テレビは奇跡的に無傷だった」というようなことがあった。

 しかし、東日本大震災では、すべてが流されてしまっている。家も家財も預金通帳も思い出も、何もかもだ。

 その中で希望が感じられたのは、瓦礫だけの町に新しい電柱が立てられ、電線と電話線が張られていたことだ。 そして、地元の人々は、通り過ぎる自衛隊の車両に手を合わせておられた。

天涯孤独になってしまった工場長

 通常の道が不通だったので、訪問する工場への行き方を現地のガソリンスタンドの人に聞いたら、親切に教えてくれた後「いい会社だよね」と付け加えておられた。知り合いの工場が、地元で信用されていることを知るのは、とてもうれしい。