人はもちろん、組織やあらゆる事象もすべては時代の産物である。改めて、そう思った。連日報じられる世界金融危機に関するニュースを読みながら、である。

 その世界金融危機も、時代を抜きには語れない。戦後50年間、世界の在り方を規定していた冷戦構造の終焉。それに伴う、グローバリゼーションの広がり。パソコンの性能が飛躍的に向上し、IT(情報技術)革命が進展。市場経済と利益至上主義への信仰。それを後押しした新古典派経済学の流行。投資銀行の存在。あるいはマネーの生産性の低下・・・。このうちどれか1つが欠けても、世界を大不況のどん底に叩き落した金融危機は起こらなかっただろう。

破綻したリーマンの日本法人(東京・六本木ヒルズ)

 破綻により、金融危機を増幅させた米証券大手リーマン・ブラザーズ。その日本法人に勤務していた金融マンがこんなことを言った。

 「日本で仕事をしているのに、外国人幹部は誰も日本のことは知らなかったし、知ろうともしなかった。頭にあるのは利益だけ。ニューヨークの本部にどう売り込めるか、だけだった。顧客に対する関心はなし。顧客志向など、どこにもなかった」

 インターネットが普及し、IT革命が喧伝され始めたころ、「マーケットイン」という言葉が盛んに使われた。それまで製造業の中心だった鉄鋼、機械など重厚長大型産業は、自らの都合で生産する製品を市場に押し付けるだけだった。つまりは「プロダクトアウト」。需要過多の時代だからそれでも通用した。

 しかし、インターネットの双方向性で顧客のニーズを把握できるようになり、グローバル競争が始まると、そうしたやり方は適応しない。だからこそ、市場の時代には顧客志向=「マーケットイン」が大切なのだ、と言われたわけだ。

「予算編成権」死守

 それなのに、リーマン・ブラザーズの行動には「マーケットイン」の欠片も見られない。顧客志向が言われだして、もう十数年が経つというのに、だ。時代のエッセンスが詰まっている現場を、知ろうともしない。現場軽視である。

 「市場の時代」を読み間違ったわけではあるまい。傲慢にも、「時代を征服した」と勘違いをしたのではないか。その結果、時代から手ひどいしっぺ返しを食らうことになった。言ってみれば、リーマン・ブラザーズの破綻は時代の必然=産物だった。