文=中井 治郎 

京都タワー 写真=picture alliance/アフロ

古都にそびえたつ「嫌われもの」?

 都市はその繁栄のシンボルとして、高く天を衝く塔を求める。そして現在、東京に東京タワーと東京スカイツリーという新旧二本の塔がそびえたつように、京都にもそのシンボルとなる新旧ふたつの塔が存在する。

 まずはおよそ1200年の歴史を持つ世界遺産・東寺の五重塔、通称「東寺の塔」である。そしてもうひとつは京都の玄関口から古都にひときわ異彩を放つ塔、京都タワーである。

「京都の街は京都タワーから見るのが良い」

 かつてはそんな物言いがあったと年長の友人に教わった。京都タワーからなら京都の街が一望できるからかと思いきや、そうではないらしい。そのココロは、「京都タワーから京都を眺めるのであれば、京都タワーが目に入らないから」だというのだ。

 おもわず「そこまで!?」と驚いてしまうほどの盛大な嫌われっぷりである。しかし、京都タワーが開業した1964年当時、全国を巻き込んだ“炎上”はそれどころではなかったようだ。

「建設という名の破壊」
「愚かな風致自殺」
「本年の最も悪い作品」
「京都の恥さらし」

 建築史家・倉方俊輔は京都タワー炎上騒動において京都タワーが各界から浴びせられた数々の痛烈な批判を紹介しながら、そのバッシングの激しさを検証している(参照:『京都 近現代建築ものがたり』)。

 いったいなぜ京都タワーはそこまで嫌われたのだろうか? そして、どのように許され、京都人の日常に溶け込んでいったのだろうか。

 どんな街にも七不思議というようなものはあるが、これは駅前にそびえたつ131メートルの不思議である。こんなに堂々と開き直った不思議も珍しい。今回はこんなにも京都らしくない京都のシンボルについて考えてみよう。

 

「京都らしくない」京都名物

 まさかそんなに嫌われていたなどと思いもしなかったが、言われてみれば、たしかにあのSF的な風貌はとても古都のイメージに馴染むものではない。

 とくに観光の文脈においては、京都は古都だということになっている。しかし、街の玄関口となる京都駅に到着した旅人の目に最初に飛び込む景色は、由緒ある寺社や伝統的な町家などではない。この京都タワーなのだ。レトロフューチャーな流線形のフォルムとビビットに冴えわたる赤と白のカラーリング。ちょうどタワー誕生の2年後に放映が始まる『ウルトラマン』(1966)を思わせるその存在感は、まさに冗談みたいなスケールで実現された空想科学の夢である。

 なるほど、「千年の古都」を期待して訪れた旅人を最初に迎える景色としては、かなり奇妙だ。しかし旅人だけではなく、この街で暮らしている住人にとってもこの塔はやはり少し独特な存在である。

 古都をアイデンティティとするこの街の景観行政は非常に厳格であり、現在でもタワマンのような背の高い建物を建てることは到底、許されない。聞き分けの良さそうな背の低いビルが、どんぐりの背比べをしている。それがこの街の景色である。

 しかし、この街で暮らしていると、そんなお行儀のよいどんぐり達の隙間から、あのSFめいた巨大な物体がぬっと顔を出す瞬間がある。自分がわくわくしているのかぎょっとしているのかいまだによく分からないが、この折り目正しくも単調な古都の日常を一閃するシュールな亀裂のような一瞬である。いずれにせよ、京都タワーの見える暮らしをすっかり受け入れてしまっている住民にとっても、こんなに「京都らしくない」京都名物はほかにないことはたしかだ。