アルメニア最大の湖・セヴァン湖とセヴァナヴァンク教会

 1991年、ソ連が崩壊し、旧ソ連に属していたいくつかの国が独立します。アルメニア共和国もそのひとつです。昨年は隣国アゼルバイジャンとの領土紛争「ナゴルノ・カラバフ戦争」が勃発したことでも注目された国です。

 アルメニアは、カスピ海と黒海に挟まれた、ティグリス・ユーフラテス川の源流地帯となるアルメニア高地の東端に位置する、山々に囲まれた国家です。平均海抜は1500から1800メートル、3000メートル級の山々も珍しくないという自然環境にあります。

 このアルメニアの地は古くから、さまざまな大国の支配を受けてきました。しかしながら、交易の中継地としての要所となっていたこともあり商業が発展、アルメニア人は、「国家なき商業の民」としても知られていました。アルメニア人は古代からユーラシア大陸の内陸貿易で活躍してきたのです。

アルメニアの首都エレバン

 その商業力に目を付けたからでしょう。1606年、現在のイランにあったイスラーム国家・サファヴィー朝のアッバース1世は、オスマン帝国との戦争の際に、敵の補給路を断つ目的で、アルメニア南部のアララト地方で焦土作戦を展開します。アッバース1世は、この時焼き払った街ジョルファー(ジュルファ)などから多くのアルメニア人を首都イスファハーンに強制連行します。途中、多くの犠牲者を出しましが、生き残ったアルメニア人は勤勉さや技術力が認められ、住民税の軽減や信仰の自由といった優遇措置を得ることに成功します。さらに彼らは、イスファハーン郊外に新ジョルファーを建設、そこを拠点とした商業でまた大いに活躍するのです。

 新ジョルファーを中心とするアルメニア人の貿易圏は、ヨーロッパから東南アジアにまで及びました。今回は、そのアルメニア人の商業活動について見ていくことにします。

世界で初めてキリスト教を公認

 日本ではあまり知られていないかも知れませんが、実はアルメニアは世界で初めてキリスト教を公認した国でもあります。301年、アルメニアの国王トゥルダト3世は、洗礼を受けキリスト教徒となりました。同時に彼は、キリスト教を国民の宗教とすると宣言したとされています。アルメニア教会の信者は現在では約500万人と推定されています。

 アルメニア人の領土は、何度も変遷を重ねてきました。それでもアルメニア高原自体は交通の要所であり続け、アジアからヨーロッパを人々が陸路で移動するときに、必ずといってよいほど通らなければならない地域でした。その地理的特性が、アルメニア人の商業力を伸ばす大きな要素となりました。また彼らは、さまざまな民族と接することにより語学力を磨いていたので、通訳としても活躍したことで知られます。

 アルメニア人の国家が最初に誕生したのは、前189年ないし前188年のこととされています。ローマが、アルタシェス1世を、アルメニア王として認めたことで国家として成立しました。しかしローマとアルケサス朝との争いに翻弄され、この王国は、紀元10年頃までに滅亡してしまいます。

 その後もアルメニアの地は、ササン朝、モンゴル帝国、ティムール朝、サファヴィー朝などの支配下に置かれますが、そうした中でもアルメニア人は信仰の自由を堅持し、独自の文化を発展させていったのです。