果実堂(熊本市)の井出剛社長の話を聞いていて、ある映画を思い出した。

 三谷幸喜監督の「みんなのいえ」という映画である。それは、こんなストーリーだ。若い夫婦が家を建てることになった。家の建築を巡って、モダンなデザインを取り入れようとするインテリアデザイナー(演じるのは唐沢寿明)と、昔ながらの和風建築にこだわる棟梁(田中邦衛)が対立する。しかし様々な衝突やトラブルを経てお互いの世界を認め合うようになり、最後は無事に家が完成する。

(株)果実堂
〒860-0804
熊本市辛島町6-7
辛島第一ビルディング5F

 果実堂が農業に参入した時の、若い社員たちの様子が、映画の中のインテリアデザイナーと重なるように感じられた。

 大学で農業理論やバイオ、遺伝子工学などを学び、「日本の農業を変えよう。理想の農業をやろう」と意気込む社員たち。農場を「工場」と捉え、利益を最大化するための栽培方法や収穫量などを徹底的に研究して農業に臨んだ。

 しかし、農業はそんなに甘いものではなかった。大学でどれだけ知識を詰め込んでも、実際に農作物を育てて収穫した経験はない。始めてみたら「悲劇の連続」である。育つはずの野菜が育たない、大雨、台風や寒冷に襲われても対処の方法が分からない。科学データだけで農業はできないのだ。何度も危機に見舞われ、そのたびに「もうダメだ」と途方に暮れた。

昔ながらの知恵と経験の前にひれ伏した

 そんな時に窮地を救ってくれたのは、土地を貸してくれた地元農家のおじさん、おばさんたちだった。「土はいいけど、この粒の荒さじゃダメだよ」「種を植える時の深さを変えなきゃ」「水をまく時に大事なのは水の量じゃないよ。水が浸み込むスピードよ」「今日から夏だよ。あんたたち、暦を読んでんの?」・・・。研究室では決して学べない、思いもよらない現場の知恵と経験で問題を解決してくれた。

果実堂の井出社長

 「今までの農業じゃダメだ」と鼻息荒かった果実堂の社員たちは、昔ながらの知恵と経験の前にひれ伏し、改めて農業の奥深さを見直すようになった。

 一方、農家の側にしても、研究用の白衣を着た社員たちを最初に見た時は「こいつらに農業ができるのか」といぶかっていたに違いない。しかし、懸命に土と格闘する社員たちと作業を共にするうちに、「何か新しい農業が生まれるのかもしれない」と夢を共有し、応援するようになる。

 果実堂の社員と農家の人たちは、決して対立していたわけではない。だが、新旧の技術と知恵、経験が融合し、新しい世界を切り開いていく様が、まるで映画「みんなのいえ」のように思えた。

 科学データに頼りすぎても、現場の経験だけで作業をしても農業は進化しない。井出社長によれば、「どうやらその真ん中あたりに答えがあるらしい」。

 一見、何の取り柄もない市井の人が実はすごい技の持ち主だったという点では、ブルース・リーやチャウ・シンチー主演のカンフー映画も思い浮かぶ(「ドラゴン危機一髪」や「カンフー・ハッスル」など)。カンフーの達人と重なるのは、もちろん農家のおじさん、おばさんたちである。

 果実堂の軌跡は、かくも映画的要素に満ちている。農業とは実はドラマの宝庫なのだ。

たまたま出合った倒産会社の農地

 果実堂の創業は2005年4月。創業時は、外部からの委託を受けて農産物の栄養価、安全性の測定や、ミネラルの研究などを行っていた。太陽の下で汗水を流す農作業とはほど遠い、純粋な「研究所」だった。

果実堂がベビーリーフを栽培するビニールハウス

 それがなぜ農業に参入することになったのか。きっかけは予期せぬ形でやって来た。ことの経緯はこうだ。

 ある建設会社が熊本市内で事業の多角化の一環としてベビーリーフを栽培していた。ところがその建設会社が倒産。熊本空港にほど近い上益城郡 益城町(ましきまち)の農地が売りに出された。回りに回って「ベビーリーフを栽培してみないか」と果実堂に話が持ちかけられたのである。