台北市郊外の自邸でインタビューに応じる李登輝氏=2018年7月8日(吉村剛史撮影)

(ジャーナリスト:吉村 剛史)

「私は死に物狂いだったよ。お前、死に物狂いになったことがあるか」——

 台湾の民主化、本土化(中国色の払拭)を推し進めた巨人はそれまで浮かべていた温和な笑みを消し、一瞬困惑したような表情を浮かべたのち、強い語調でこう切り返した。

 7月30日、多臓器不全のため台北市内で、97歳で死去した李登輝元総統に、筆者が最後にインタビューしたのは今から2年前の2018年7月8日。場所は台北市郊外の李氏邸宅で、「台湾は、台湾のままで22世紀を無事に迎えることができるでしょうか」との問いかけに対して見せた反応だった。

 1923年、日本統治時代の台湾に生まれ、母語同然に日本語を話す李氏は、日本語によるインタビューにも丁寧な言葉遣いで応じるのが通常だが、ときに核心をつかれ、思わず本音が漏れる際は、「オレ」「お前」と、まるで旧制高校生に戻ったかのような口調になる。そのことを知っていたため、この時も筆者は耳を澄ませた。

「日本はいつまでもアメリカに頼ってばかりいてはダメだ。憲法を修正(改正)して対等な協力関係を結び、自立しなければならない」

「正しいと思う道なら、お前、死に物狂いでやってみろよ」

 当時95歳の李氏は、沖縄訪問から帰台したばかり。台北市内でも台北市日本工商会所属の在留邦人を対象に講演した直後だったが、その疲れも感じさせず、言葉は激烈で、話題は「日本人への遺言」というべきものだった。

中国の覇権主義を警戒

 その際李氏は、日本と台湾のこれからとるべき進路について、安倍首相とも面談を重ね、時には同宿して語り合い、日本の戦後体制の脱却、自立の重要性を説いたことなども明かした。言葉遣いが乱れたのはその話題における一瞬だった。

「日本や台湾を取り巻く国際社会をみてみると、大きな変化が次々と起こり、先行き不透明な激変の時代を迎えているといえる。その中でも特にアジアを不安定にさせている最大の要因は、中国の覇権主義にあるといってよいと思う。しかしアジアがむしろそのような状況にあるからこそ、日本と台湾は関係をより緊密化しなければ」

 再び丁寧な口調に戻った李氏は、直前の沖縄講演や、台北市日本工商会講演などを下敷きに、中国への強い警戒感をにじませ、日台関係の進展を望む持論を展開した。