昨年4月、Zoomがナスダックに上場した際の袁征CEO(中央の人物。写真:AP/アフロ)

 朝、目を覚まして、コーヒー片手に、自宅のパソコンを開けて、Zoomを立ち上げる――。

 昨今、テレワークが定着する中、こんな生活を日々、送っているビジネスパーソンも多いのではなかろうか。

 だが、Zoomが中国人の「発明」だということはご存じだろうか? Zoomには、一人の中国人のサクセスストーリーが秘められている。

シリコンバレーに赴くも英語下手で米国企業に採用されず

 Zoomの創始者は、袁征(ユエン・ジェン)という中国人である。1970年、山東省の泰安市に生まれた。父親は、一介の鉱山の技術士。地元の山東鉱業学院(現在の山東科技大学)を卒業し、そこで修士号まで取った。

 袁征は大学時代に、遠距離恋愛をしていた。昔の中国は交通が不便だったため、夏休みと冬休みにしか彼女と会えない。そこで「まるで彼女と一つ屋根の下にいるような通話はできないものか」と空想する日々だったという。その彼女とは後に結婚する。

 1994年、袁征は日本へ出張した際、たまたまマイクロソフトの創始者ビル・ゲイツ氏の講演を聴く機会があった。その時、ゲイツ氏が「情報の高速道路」という概念を説いていて、その言葉に啓発された。そして「インターネットの首都」である米シリコンバレーで働きたいという夢を抱いた。

 だがその後、何と8回にもわたって、アメリカ行きのビザをトライするが拒絶されてしまう。それでもめげずに、9回目にしてようやく、1997年にビザを取得。憧れのシリコンバレーに足を踏み入れた。

 袁征は、ネット技術にはそこそこ自信があったが、英語が下手だった。そのため、シリコンバレーのアメリカ企業が、どこも雇ってくれない。そこで仕方なく、中国系の朱敏、徐郁清夫妻が現地で興したWebEx(網訊)という小さな会社に就職した。ビデオ会議のソフトを扱う会社で、まだ社員は十数人しかいなかった。

 以後、袁征はWebExの若手社員として、懸命に働く。いつしか一介のエンジニアからエンジニア長、そして副社長にまで上り詰めた。

 そんな中、2007年に、世界最大のコンピュータ・ネットワーク機器会社Ciscoが、WebExを32億ドルで買収した。袁征はCiscoのエンジニア部門の副社長に収まり、800人以上の部下を抱える大企業の幹部となった。