新型コロナウィルスの感染が急拡大している韓国で、裁判所の閉鎖など事実上の戒厳令を発表した文在寅大統領(2月23日、提供:NEWSIS/新華社/アフロ)

 内政外交ともに八方塞がりの韓国・文在寅政権。

 しかも、新型肺炎の急拡大に見舞われ弱り目に祟り目といったところだが、文在寅大統領はただでは転ばなかった。

 本稿は、新型肺炎という災厄を逆手に取り、国民を欺く狡猾な手法で「戒厳令と同様な施策」を打ち出し、4月15日の選挙に打ち勝とうとしているのではないかという仮説である。

政権の維持・奪取に戒厳令活用の歴史

 1960年3月に李承晩政権下で行われた第4代大統領選挙において大規模な不正に反発した学生や市民による民衆デモが発生した。

 4月19日、中・高生や一部市民も参加したデモは最高潮に達し、その規模は20万人あまりに膨れ上がった。

 これに対し李承晩政権は19日午後5時を期してソウル・釜山・大邱・光州の各都市に戒厳令を布告したが、軍は政治的中立を維持、デモ隊鎮圧のための積極的行動は行わなかった。

 1962年12月6日、朴正煕陸軍少将などは軍事革命委員会の名の下に軍事クーデターを起こし、成功するや韓国の全地域に戒厳令を布告した。

 これにより、一切の屋内集会が禁止、出版や報道に対する事前検閲が実施されるとともに、国会および地方議会の解散、政党や社会団体の活動禁止することなどが宣言された。

 1951年から65年の日韓基本条約締結まで日韓国交正常化交渉が行われた。

 これに対して、韓国民衆は、朴正煕政権による「賠償なき国交回復」に怒り、条約反対闘争を行った。