日本の美しい桜の木

「サクラ疑獄」に関する前稿、多くの方にアクセスをいただき、心からお礼申し上げます。

 とりわけ、与野党を問わず多くの永田町関係者も読んでいただいているようで、身の引き締まる思いです。さらに郷原信郎弁護士ご自身からもご連絡とアドバイスを頂戴しました。

 本稿は、その果敢な正義の取組みに敬意を表して、郷原信郎さんへのトリビュートとして記してみたいと思います。

法の素人が理解できる大切さ

 この連載シリーズの位置づけとして、社会の大半を占める私同様「法律の素人」の立場で、できるだけ正しく「サクラ疑獄」を含む、憲政の本義、その基本を確認するとともに、その有終の美をなす方途を論じてみたいと思っています。

 背景には、完全な法学の素人として40歳を過ぎてから、刑法の故・團藤重光・東京大学教授のメディア対応の秘書役として、先生名義の原稿を口述筆記・校正でお手伝いした経緯があります。

 法律の専門家でない私たち一般の人間は、玄人であれば一言で「あ!」と気づくようなポイントを容易にスルーしてしまいます。

 そこで、今回の「サクラ疑獄」が明らかにした日本国憲法にあいた「蟻の一穴」の確認から始めたいと思います。

 いまだに「サクラ疑獄」問題を何か小さなことでもあるかのように記す記事をメディアで目にします。

 しかし、それはその筆者がどういう社会経済的因果で生活しているかを示す指標にはなっても、憲政の根本問題を考える役にはおよそ立ちません。

 かつて戦前の「大日本帝国憲法」は「統帥権干犯」という、やはり蟻の一穴から、国家全体が暴走する歯止めが利かなくなってしまいました。

 それと同様の構造を指摘するところから始めたいと思います。