ビゴーによって描かれた第1回衆議院選挙の様子。髭に手をやっているのが「立会人」、手前で腕を組むのが「警官」、後ろの人垣は「見物人」。   

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 5.15事件――近代国家として歩み始めた日本に、立憲政治が根付こうかという矢先に起きた軍事クーデター。犠牲となった「犬養毅」の名前を覚えてはいても、「なぜ犬養が死ななければならなかったのか」を説明できる人は案外少ないのではないだろうか。林新氏、堀川惠子氏は膨大な資料をひも解き、評伝『狼の義 新・犬養木堂伝』で、当時の世相、背景、時代の空気とともに犬養毅の生涯を描き出した。前回(http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/56331)は「話せば分かる」という犬養の有名な最期の言葉の真相に触れた。今回は、日本で最初に行われた衆議院選挙が舞台。犬養はどんな思いで選挙に臨んだのか?(JBpress)

(※)本稿は『狼の義 新・犬養木堂伝』(林新・堀川惠子著、角川書店)の一部を抜粋・再編集したものです。

初の民選選挙

 6月の岡山庭瀬(にわせ)は、梅雨空の低い雲に覆われている。懐かしい縁側に、犬養毅(いぬかいつよし)はひとりたたずんでいた。実家には、庄屋だった時分の風格がそこここに残る。母屋は錣葺(しころぶ)き、座敷には付書院があり、天井に黒々と光る太い梁(はり)は先祖代々営まれてきた時の長さを感じさせる。ここに村の子どもたちを集め、塾を開いたのはもう20年前のことだ。

 目の前には、昔と少しも変わらぬ風景が広がる。田植えが始まると足守(あしもり)川から田へと水が引かれ、家々の間を縫うように走る水路の水面が一斉に動き出す。風が水田を撫でれば、東京では目にすることのない青い波がどこまでも広がってゆく。

 日本で初めての選挙が行われることになり、故郷に戻ってきた。20歳で出たきり、知人は少ない。発表された選挙区の区割りを見ても、実家から遠い窪屋(くぼや)郡や下道(かとう)郡には何の伝手(つて)もない。とりあえず、被選挙権の納税要件を満たすため、兄が所有する地券の名義を変更して資格だけは整えた。

 選挙費用にも頭を抱えた。自分にも、実家にも、金はない。すると犬養が資金繰りに難渋しているとの噂を聞きつけた大隈重信(おおくましげのぶ)が、150円の大金をポンと貸してくれた。証文すら取らなかった。思わぬ援助に当面を救われ、犬養は大隈の周りに人が集まる理由を実感として理解した。