手探りの選挙戦

 選挙には2通りの運動方法がある。1つは「戸別訪問」。有権者である地主たちの家を隈なく訪ねて挨拶をする。そしてもう1つが「演説会」だ。できるだけ多くの寄り合いに足を運び、話をして回らねばならない。ただ、何を話せばいいかもよく分からない。なんせ初めての選挙、立候補者も有権者も手探りの活動である。

 最初の演説会は、倉敷(くらしき)の寺で開かれた。事前の周知が行き届いていたのだろう、本堂いっぱいに人が集まった。すっかり気をよくした犬養は、藩閥政府の弊害、不平等条約改正の必要性、国内経済を立て直すための保護貿易の重要性と、思うところを熱心にしゃべった。

 ところが、聴衆は静まり返っている。演説が終わっても、拍手もなければ質問の手も挙がらない。福沢諭吉(ふくざわゆきち)の下で幾度も練習した演説会とまるで違って手ごたえがない。

 ――さて、これは困ったな・・・。黙って会場を後にしていく人々の背中を見送りながら、ほとほと困惑した。

「犬養さんとやら、ちいとよろしいか」

 背後から1人の老人が声をかけてきた。

「わしは剣持彌惣治(けんもちやそうじ)と申します。窪屋郡の菅生(すごう)村のもんです。国会が開かれて民選議員というものができるのは久しい前から言われとりますけんど、いよいよ7月に選挙じゃとあいなって、さて、わしは真面目に考えてみましての」

 犬養の知り合いのいない窪屋郡の世話役らしい。剣持と名乗った男は、犬養顔負けの演説調で続ける。

「わしら選挙の権利を持つということは、民にとって幸福な事で、御一新に劣らぬ大事件じゃ。じゃけど、一体議員いうものはアヘン、モルヒネ、コロロホルムのようなもんで、下手に選んではかえって害を受ける懼(おそ)れがある」

 犬養は思わず噴き出しそうになった。

「は、ははは。アヘン、モルヒネか、確かにそうだ」