便利な方より面倒な方が売れたのはなぜなのか? キーワードは「自己効力感」にある。

 前者は、水と混ぜるだけなので、お母さんが「子どものために焼いてあげた」、という自己効力感が得られない。しかし、卵と牛乳を加えてかき混ぜるという一手間を加えると、子どものために焼いて上げられた、という自己効力感が得られやすい。誰かのためにやってあげられた、という自己効力感が、「水と混ぜるだけ」では得にくかったのだ。

 これと同じことが、イケアにも言えるという。完成された家具は、お客さんにとっていじる余地のないもの。自己効力感は得られない。これに対しイケアの家具は、自分で組み立て、ネジを締めなければならない。その一手間で、愛着の湧く家具になる。自分が能動的に関わって初めて完成した、という自己効力感が得られるからだ。

「卵と牛乳を混ぜるホットケーキミックス」も、「自分で組み立てる家具」も、自己効力感が得られる絶妙なバランスを保っている。もし、小麦のタネとニワトリと乳牛を渡されて、「これでホットケーキを作れ」と言われても、気が遠くなるだけだろう。丸太と鉄塊を渡されて、「これで家具を作りなさい」と言われても、すぐさまお断りだろう。

 この状態が、「教えなさ過ぎ」と同じなのだ。皆目見当がつかない、途方にくれる状況に置かれて、どうして意欲を維持できるだろう? 途中でくじける可能性がはるかに高い。

 他方、「教え過ぎ」も問題がある。「水に混ぜるだけのホットケーキミックス」や「完成された家具」は、「教え過ぎ」に該当する。「水と混ぜるだけ」では、原材料に想像すら及ばなくなるだろう。「完成された家具」も、値段の割にチャチだなあ、使い勝手が悪いなあ、という文句が出やすくなる。

 しかし、「卵と牛乳を混ぜる必要のあるホットケーキミックス」なら、卵がつなぎになり、牛乳が風味を添えるということも、混ぜる作業の中で感じ取れる。粉がダマにならないように混ぜる中で、「この粉の材料は何だろう?」と不思議に思う時間も得られる。焼きあがったホットケーキは、「自分で作った感」が得られる。

「組み立てなければいけない家具」もそう。自分の手で組み上げることで、材質を肌で感じ取れる。なぜ強度を保てるのか、その秘訣にも迫れる。一手間かけて組み上がった家具は、値段が安い割には愛着の湧く一品となる。