(廣末登・ノンフィクション作家)

 前回は、ヤクザがシャブにはしる背景や、数字でみる現在のシャブ事情につき、紹介した。今回は、シャブの底なし沼から生還した2人の姐さんのエピソードを紹介する。シャブに手を出したときから、彼女たちが憩う平和はなかった。2人は、腐敗と悪徳の底なし沼から這い上がることができた幸運なケースといえる。

前回記事:ヤクザがシャブをやっちゃう理由
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/56013

そもそもなぜシャブと呼ぶ?

 覚醒剤のことをシャブという。アイスやスピードなどと、シャレた名前で呼ばれることもあるが、どれも覚醒剤のことだ。売人は「シナモノ」と呼ぶ。

 この覚醒剤、なぜシャブというかご存知だろうか。一説では、骨までしゃぶるからシャブと呼ばれるそうだ。

 シャブという名前がついたとされる戦後動乱期のエピソードがある。それは、大正12年に生まれ、昭和30年に没したヤクザ、出口辰夫にまつわる話である。出口は、マレーネ・デートリヒ、ゲイリー・クーパー主演の映画『モロッコ』を好んで観たことから、「モロッコの辰」と呼ばれていた。宮崎県で生まれた出口は、地元の尋常小学校高等科2年を卒業後、すぐ上の兄とともに、横浜市鶴見区潮田に住む次兄夫婦のもとに預けられた。モロッコは、ここで夜学の工業高校に進学し、川崎にあった「薄田拳闘クラブ」に通いはじめた。ここから、モロッコの喧嘩三昧の生活が幕を開ける。世の中では、太平洋戦争が始まっていた。モロッコにも召集令状が届くが、肺浸潤により兵役不合格となる。彼は、このころから、肺結核を患っていたようで、痛みを緩和するために、ヘロインを常用していたと云われている。