部下の「考える」余地を残しておけるかどうか、上司の「器」の大きさが試される。

(篠原 信:農業研究者)

 とある雑誌から、執筆依頼が来た。その企画によると、「自分の頭で考えることのできる部下を育成するには、自分の頭で考えられる上司である必要がある」とあった。ふむ・・・。

 優秀な指導者が育てるから優秀な部下が育ち、自分の頭で考える上司が育てるから自分の頭で考える部下が育つ、と考えることは、ごく自然のことのように思う。しかし、実際には、指導者が優秀で主体的で自分の頭で考える人であるがゆえに、部下を潰してしまうケースが少なくない。これはなぜだろう?

「考えすぎ」が考える力を奪う

 おそらく原因は、「部下の分まで考える」から。そして、「驚かない」からだ。

 自分の頭で考える人はしばしば、他人(部下)の事まで考えてしまう。そこまでで止まればよいのだが、考えたことはつい言いたくなるのが人の性というもの。ついつい「それはこうした方がいいよ」と口を出したくなる。

 すると、部下は考えなくなる。だって、上司が先に考えてしまうから。部下としては、その意見に逆らうこともままならず、黙って従うしかなくなる。

 しかも、上司が「部下の分まで考える」と、「驚く」ことができなくなる。部下の考えそうなことは、すべてお見通し、といった気分になるからだ。部下のアイデアに驚くどころか、「それより、こっちの方がいいんじゃないかな」と、部下とアイデアで張り合うことさえ起きてくる。こうなると、部下が何を提案しても驚かず、むしろ逆提案されてばかりなので、部下は面白くない。

 部下が自分で考えても、上司は驚いてくれない。驚かないばかりか先回りして考え、提案さえしてくる。こうなると、部下は考えなくなる。どうせ聞いてもらえないのだから、考えるのも面倒になり、上司の提案を黙って実行するだけになる。

 こうして自分の頭で考えない「指示待ち人間」が出来上がる。つまり、自分の頭で考える上司は、しばしば「他人の分まで考える」こと、「驚かない」ことにより、部下から能動性、自主性を奪ってしまう。