金委員長が父親の金正日総書記から後継者指名を受け、正式に後継者としての道を歩み始めたのは、満25歳の誕生日、すなわち2009年1月8日からである。この年の春に、金正恩委員長の発案で、朝鮮人民軍に、本格的なサイバーテロ部隊を傘下に収める偵察総局が発足した。その時に金委員長は、最も信頼を置く一人である金英哲副委員長を、偵察総局長に据え、自らが指導した。そこから、金正恩―金英哲時代が始動していくのである。

 金英哲副委員長は、前述のように、昨年来のトランプ政権との交渉で、北朝鮮側の交渉責任者を務めた。そして、昨年6月のシンガポールでの歴史的な米朝首脳会談を成功させたことで、金委員長から絶対的な信頼を勝ち取るに至った。

 ところが、相手はあのトランプ大統領である。合意に至るか未知数の「ハノイ会談」を、開催すべきかどうか――今年に入って、アメリカと北朝鮮が、それぞれ逡巡した。

 その時、平壌で「大丈夫です。必ず、アメリカとの交渉はまとまります」と、金正恩委員長の背中を押したのが、金英哲副委員長だったという。それで金委員長は、最終的にハノイ行きを決めたのだ。

 だが、結果は周知の通り、「決裂」に終わった。「ノーディール」でも、「また次があるではないか」とお気楽に言えるのは、アメリカ側である。

 北朝鮮側は、そうはいかない。金正恩委員長はおそらく、これまでの35年間の人生で、初めて本格的な挫折を味わったことだろう。かつ、最高権威としての面目は、国際的にも国内的にも丸潰れである。特に国内的に、「何か」をして取り繕わないと、大きく傷ついた面目は取り戻せない。

 と言うわけで急遽、4月11日に最高人民会議の開催を決めたのである。そして、前述の「不穏な噂」とは、最高人民会議で、「ハノイの決裂」の「A級戦犯」として、金英哲副委員長を断罪するというものだ。

処刑され、遺灰すら残らなかったかつてのナンバー2

 思い起こすのは、かつて「不動のナンバー2」と呼ばれた金正恩委員長の叔父(父の妹の夫)、張成沢党行政部長が、2013年暮れに、血祭りに上げられた時のことだ。シェパード犬に噛まれる拷問刑を受けたあげくに、火炎放射器で燃やされ、遺灰すらも残らなかった。もしかしたら、すでに金英哲副委員長に対するシェパード犬拷問が始まっているかもしれない。

連行される張氏の写真、北朝鮮が異例の公開

北朝鮮・平壌で開かれた労働党中央委員会政治局拡大会議で、警備員に連行される張成沢国防委員会副委員長を写したとされる画像。張成沢氏は2013年12月12日、処刑された。News1提供(2013年12月9日公開)。(c)News1〔AFPBB News

 だが問題は、金英哲副委員長を粛清した後である。国連の経済制裁によって、北朝鮮経済は、日増しに悪化している。朝鮮人民軍の強硬派は、核やミサイル兵器の開発再開を突き上げている。金正恩政権の内憂外患は続く。