日ロ首脳が会談、北方領土交渉の打開に至らず

ロシアの首都モスクワで行われた日ロ首脳会談の後、共同記者会見のため会場に入るロシアのウラジーミル・プーチン大統領(左)と安倍晋三首相(右、2019年1月22日撮影)。(c)Alexander NEMENOV / POOL / AFP 〔AFPBB News

(黒井 文太郎:軍事ジャーナリスト)

 3月15日付のロシア大手紙「コメルサント」が、プーチン大統領がロシア財界人との会合で語った内容を報じた。「日本との平和条約交渉の速度が失われている」「日本はまず日米同盟を破棄しなければならない」「日本との対話は続けるが、ひと息つく必要もある」などである。

 ここで最重要なのは「日本はまず日米同盟を破棄しなければならない」だろう。平和条約を締結しても、日ソ共同宣言にある色丹島と歯舞群島の引き渡しには日米同盟破棄、すなわち日米安全保障条約の破棄が条件の1つだとの認識を示しているからだ。日本政府が日米同盟を破棄することはあり得ないから、2島引き渡しの可能性がゼロ%であることは明らかだ。

 これに先立ち、3月12日にはロシア大統領府のべスコフ報道官も会見で、「(日本側と)議論しているのは平和条約締結交渉で、島の引き渡しではない」と発言。ロシア政府が日本側と北方領土の引き渡しについては交渉していないことを明言した。

 対日交渉の責任者であるラブロフ外相も2月24日に「(領土問題を解決して平和条約を締結するとの安倍首相の発言に対して)その確信の理由が分からない。プーチン大統領も自分も、そんな発言の根拠は一切与えていない」と公式に語っている。

 これらロシア側の発言で、事実上の2島返還での平和条約締結を目指していた安倍首相は、完全に梯子を外された格好になった。日本政府からの対露交渉についての情報発信も、ほとんど止まってしまった。

 こうしたロシア側の冷たい態度に「ロシア国内世論の反対で、プーチン政権が態度を硬化させた」というような解説が散見される。しかし、筆者がJBpressへの寄稿記事などで再三指摘してきたように、ロシア側はこれまで一度も「2島なら返還する」などとは発言していない。プーチン大統領が「日米同盟破棄がまず必要だ」と語ったことも、けっして予想できなかったことではない。ロシア側はそうした条件を持ち出す布石を、これでまで着々と打ってきているからだ。つまり、ロシア側はもともと2島を引き渡す意思がなかったのである。

 ところが、これまで日本のメディア各社の多くは、あたかも「領土返還交渉が進展している」かのような報道を繰り返してきた。なぜそうなったのかというと、日露交渉の経緯を、日本側関係者の証言だけに基づいて報じてきたからだ。日本側でだけ報じられてきた日露交渉の経緯は、日本側関係者たちの願望そのもので、事実とはほど遠い。いわばファンタジーのようなものだ。

 では、実際の日露交渉はどういった経緯だったのか? 旧ソ連時代からの流れのポイントを年表形式で示してみよう。

北方領土交渉のこれまでの経緯

【1956年10月 日ソ共同宣言署名】

「平和条約締結後に2島引き渡し」項目が盛り込まれる。ただし、択捉・国後両島への言及がなかったため、日本側が4島返還への協議継続を主張。平和条約には至らず。当時、アメリカも反対。