編隊を組む場合、他の飛行機に合わせるための操縦が必要になり、燃料を余計に消費する。また、当時の飛行機では成層圏の飛行は燃料消費が大きかった(ジェット機では高空の方が、空気抵抗が小さく燃費がよい)。

 燃料と爆弾はトレードオフになるため、最大9トンの爆弾を積むことができるはずのB-29だったが、初期の日本空襲では2トン強しか積めなかった。

 また、結論としては、日本はB-29を防げず焼野原にされたのだが、日本軍も少数ながらB-29を討ち取っていた。

 航空産業は潰されていないし、爆弾が落ちてきても被害は爆弾が落ちた周囲に限定されているし、日比谷公園には撃墜したB-29が晒し者になっているし、自分の住んでいる町では日常生活は続いている。

 既に市民にも犠牲者は出ていたが、東京大空襲の前はB-29の最大の破壊力はまだ発揮されておらず、日本側は空襲の本当の恐ろしさを体感するに至っていなかった。

 これも逃げ遅れなどの要因になり、被害の拡大をもたらしたことは想像に難くない。

 しかし、3月10日の空襲では、米軍は様々な新機軸を打ち出してきた。

 東京大空襲はこれまでの空襲と全く違うものだったのだ。以前のB-29は軍需工場を狙っていたが、3月10日の空襲では標的は都市全体だった。

 そして、軍需工場を爆弾の爆発力で破壊するのでなく、焼夷弾で大火災を起こすことで木造家屋の多い燃えやすい都市を丸ごと焼き払うことが計画された。

 1945年3月10日に多くの人々の命を奪った火炎地獄は東京大空襲で初登場だったのだ。