ゴーン被告、保釈される 東京拘置所から作業服姿で

付き添いを受けながら東京拘置所を後にする、日産自動車前会長のカルロス・ゴーン被告(中央、2019年3月6日撮影)。(c)AFP / Behrouz MEHRI〔AFPBB News

(アンドルー・ゴードン:歴史学者、ハーバード大学歴史学部教授)

 2018年11月、日産の当時の会長だったカルロス・ゴーン氏が脱税と金融商品取引法違反の疑いで逮捕された。それ以降、この事件は世界中のメディアから非常に大きな注目を集めている。今回の「ゴーン・サーガ」(ゴーン年代記)は日本国内では1988年のリクルート事件や2006年のライブドア事件に匹敵する実業界の一大スキャンダルと目されている。かのロッキード事件(アメリカの航空機メーカーと当時のニクソン大統領、田中角栄元首相らが関与した贈収賄事件)を除けば、かつてここまで世界から注目を集めた日本のリーダーは実業界や政界に類を見ないほどだ。

 容疑の内容そのものと比べて、注目の度合いが異常に高くなってきていることを私は奇妙に感じていた。たしかに、ゴーン氏が2010年以降5年以上もの歳月をかけて稼いだ100億円にも上る所得の約50%に過少申告の疑いがかけられており、これが注目に値する出来事であることに疑いの余地はない。最初の逮捕以降、彼の再逮捕や拘留期限延長が決定される度に、不正な会計操作や会社資金の不適切な流用など、新たな容疑が次々と加えられている。

日本企業は多様性のある経営者を受け入れるべきか

 だが、話は簡単には終わらない。これは単なる容疑そのものの問題ではないのだ。今回の事件はたしかに金額の規模は桁外れだが、ある意味「よくある企業不正の一種」に他ならない。これに加えて、内外のメディアが報じているように、ゴーン氏の逮捕は司法を戦場とした主導権争いの様相を呈した。それは外国人であるカリスマ的な元CEOや西川社長をはじめとした日産の日本人側の経営陣、そして日産の提携相手であるルノー、さらにはフランス政府をも巻き込んだ闘いとなった。

 近い将来、ドラマや映画になりそうな話ではあるが、その時にはおそらく単なる野心や裏切りの物語にはならないだろう。今回の事件は2種類の重要な問いを日本の企業統治に対して投げかけている。

 最初の問いは、日産の経営陣はここ数年にわたり一体何をし、何をしなかったのかという問いだ。そして、なぜ会計監査人たちはここまで大規模な所得の過少申告に気づけなかったのか――もし気づいていたとしたなら、なぜ沈黙を続けたのか。

 そして次の問いは、果たして日本の企業社会が、強力な権力を持つ「経営者」という地位への扉を今後も外国人に対して開き続けるのか、また彼(または彼女)たちのような外国人に他の国々と比較しても見合った水準の報酬を与えるのかという問いだ。