前回「カリフォルニアで思うネットジャーナリズムの青空」に引き続き、アメリカ取材の話をしよう。当初、昨年の反SLAPP法取材で取材しきれなかった疑問を片付けるだけのつもりだった。だが、取材の段取りをしているうちに、欲が出てきた。アメリカの記者たちと政府の関係はどうなっているのか調べてみたくなったのだ。

 きっかけは、日本で「記者クラブ」がフリーランス記者や外国メディアの記者、雑誌記者を排除している閉鎖性について、記者だけでなく一般からの批判が激しくなってきたことだ。

 2009年の民主党政権誕生で、中央省庁の記者クラブ開放は一気に進むかのように見えたのだが、期待に反して2010年はむしろ停滞の1年だった。業を煮やした上杉隆氏、岩上安身氏、畠山理仁氏など、会見アクセスの開放を求めていたフリーランス記者たちが中心になって「自由報道協会」を結成、小沢一郎氏が同協会の主催する会見に登場するなど、記者クラブを無力化するような動きが活発化しているのは、この欄でも書いてきた通りである。

 そろそろ「ポスト記者クラブ」の実務的な議論を始めてはどうだろう。2011年を「ポスト記者クラブを考える元年」にしてはどうだろう。私はそう提唱してきた。

アメリカ人にとって「政府」とは州政府のこと

 記者クラブをめぐる議論の中で、私がずっと疑問に思っていたのは、「記者クラブは日本にしかない奇習」という説が何の実証もなく唱えられ、その証明としていつも「アメリカのホワイトハウスや連邦議会の会見には誰でも入れて云々」とワシントンの話ばかりが引き合いに出されることだ。「日本の首都は東京だから、アメリカの首都ワシントンでは」という単純な比較推論なのだろう。

 だが、私は大学院、インターン(ワシントンの連邦議会調査局で3カ月インターンをしていた)、ニューヨーク駐在記者時代の経験で、直感的に「何かヘンだ」と感じていた。

 というのは、アメリカでは、人々の暮らしに直結する法律や政策を決めるのは州政府なのである。例えば、日本では国会の所管である刑法や刑事訴訟法も、アメリカは全部州議会が決める。