大谷翔平の持つ純粋さとの違い

「微妙なバランスではあるんですけど、(大谷翔平の持つ)純粋の純みたいなものと、ここでいう稚心の子供っぽさ、幼さは全然違う異質なもので。逆に言うと、(大谷のような)100パーセント真っ白な感じっていうのは選手が一番伸びていく状況に僕には見えています」

「(稚心を去るのイメージは)人のために何かをできる感覚。野球って、個人のスポーツでもあるんですけど、チームが勝つためという前提で考えると、(稚心によって)チームの方向が見えなくなってしまう感覚(がある)。そんなときに、実は野球ではなくて、人として大人になりきれているか、なりきれてないかみたいなのが大事なんじゃないかな、と感じているわけですね。勝手にですけれど(笑)」

 その心は、ふたたび「稚心を去る」を引用するとわかりやすい。

「自分を捨てて、人のために尽くすということを、まだまだできてはいないけれど、真剣に向き合えるようにはなってきている。だからこそ『子どもっぽい心』を出させてしまったときは、いつも責任を感じてしまう。どうして『大人の心』を引き出してあげられなかったのか、と。
 結果が出ていれば、自然と『大人の心』が出てきて、誰でも『チームのために』となる。
 プロの世界は、特にそう。結果が出て、みんなが気分良くやれているときは、驚くほど『大人の集団』。難しいのは、結果が出ていないときにどうやって『大人の心』を引き出すか。きっとそれを引き出すのが、監督の仕事なんだと思う」
(『稚心を去る』より引用)

 現場を預かる責任者として、できる限り、大人の心を育てていくことに努めながら、誰しも「稚心」が出てしまうことがあり得ることを前提としてチーム・組織を作っていく。そして、それが出てしまったときに、どう対応すべきか、どううまく手を差し伸べることができるのかこそが、指揮官としての役目だ、というわけである。

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 こうした教育者のような考え方は、生き馬の目を抜くプロ野球界において異質に見えるかもしれない。ともすると、甘いことを言っていては「勝てない」という批判を浴びることもあるのだろう。

 しかし、それもまた含めたうえで、メッセージを送り出すのが栗山監督なのである。そこにはマネジャーとしてブレることのない明確な意図がある。

 わかりやすい例で言うと二刀流。常識ではあり得ない、漫画ではない、と批判されたこの挑戦について、さまざまな意義を語ってきた監督であるが、強調していた大事なことは以下の言葉であっただろう。

「チームが勝つ可能性を上げるために『二刀流』が必要だった」

 すべては、チームを勝たせるため。「稚心を去る」ことが、ファイターズが勝つ可能性をもっとも高くする選択であり、栗山監督の勝つためのマネジメントなのだ。8年目のシーズンが待ち遠しい。