このことをSNSで紹介すると、人工知能に詳しい研究者の方が、「こんな学会発表があったよ」と、スライドを見せてくれた。その研究では、まさに幼児が言葉を覚えていく過程に焦点を当てており、「どうやら子どもは言葉を覚えるのに、場面や状況をまるごと覚えることで、使用すべき場面、文脈を理解するようだ」と分析していた。そして、言葉として明示されていない文脈を人間が理解し、人工知能が理解できないのは、言葉の背景にある「場面」や「状況」という体験がすっぽり抜け落ちているからではないか、と指摘していた。

 たとえば、論理的には同じなのに、ニュアンスが全然違ってしまう言葉を考えてみよう。

「あの人は時々休むけれど、頑張り屋さんなんですよ」というと、体が弱くてやむなく会社を休むことはあるけれど、肝心なときには逃げず、みんなに迷惑をかけまいとする責任感の強い人だ、という前向きなニュアンスが伝わる。

 ところが、順番を変えると不思議なことが起きる。

「あの人は頑張り屋さんなんだけど、時々休むんだよね」というと、頑張らなくていいところで妙に頑張り過ぎ、肝心なところで疲れて休んでしまい、みんなに迷惑をかけることがある、というネガティブなニュアンスが伝わる。

 どちらも「時々休む」と「頑張り屋さん」という2つの性質が並列しているだけだ。論理的には違いがないように思われる。しかし、ネガティブなことを表現した後に「だけど」と続けてポジティブなことを伝える場合は、好意的に受けとめていることが多い、という生活体験があり、その逆にポジティブなことを表現した後に「だけど」と続けてネガティブなことを言うと、その人物をくさしたいという本音が潜んでいることが多い、という生活体験があると、ニュアンスを含めて私たちは受け取ることができる。

 こうした読解力は、人工知能がなかなか習得できないものらしい。なぜなら、人工知能は「場面」や「状況」を体験できないからだ。

 人工知能が発達すると、プログラミングといった、純粋論理に近いものは、人間を代替できるかもしれない。しかし、文学作品が表現するような「場面」や「状況」は、なかなか人工知能が理解できるものではないようだ。