しかし、それをただ「こんな年齢なら、本当は友達と遊んだり、家庭で可愛がられたりしていて当然だ。かわいそうに」といった哀れみの目で見るばかりではない、という復興の現実を、ルワンダの首都キガリの下町の授産所で私は知りました。

 ちなみに夕方で電気がついていましたが、途中から停電してしばらく真っ暗になった状況で、元少年兵の老人に「刺繍をしていて楽しい」という感想を聞かせてもらいました。

 内戦などで、ある世代全体が就学の機会を持てないということは、その国のその世代全体が「リテラシー」を失うことを直ちに意味します。

 子供が戦地で武器を取る姿は、いまかわいそう、というのみならず、明日の青年、2030年代の壮年、2040年代の国家リーダーの人材層喪失、ひいては復興の遅れや開発至難な状況、永続的な貧困発生などの原因となってしまいます。

 少年兵が1人いる、ということは、仮にその子が戦果を生き延びることができたとしても、その国の未来に長く影を落とすことを意味します。

 そういう現実をきちんと見据え、間違っても「赤き血潮」や「でっかい希望の虹」などを称揚すべきではありません。

 文字も読めず、数の計算も危うい21世紀生まれの世代が、どうやって今後、高度に情報化したグローバル社会で、先進各国に対抗していけるというのでしょうか?

 少年兵を量産するというのは、今後、必ず訪れる「AIデバイド」で、まず間違いなく「人工知能弱者」として割りを食う人々を、一つの国、一世代まるごと、現在進行形で作り出していることにほかなりません。

 さらに、それらが因果な搾取や、貧困、犯罪、麻薬貿易など2次的な広がりにも容易につながってしまいかねないのも、全世界のこの種の出来事から、いやというほど私たちは見てきたはずです。

 国連をはじめ、国際社会の良心層がおしなべて少年兵に反対する背景に、こうした実態を直視する必要があります。

 このグローバル環境のもと、子供を戦場に送ると、国は向こう100年にわたってデバイド下層に沈殿するリスクを負う、シビアな現実を認識すべきと思う次第です。