古代の聖典が同胞を大切にすると同時に、異教徒を人間扱いしないのは、こうした命がけの現実から考えるべきものと思います。

 男は自ら身を守り、家族や仲間、自分たちの財宝を腕力で防衛する必要がある・・・。

 イスラム以前のアラブの古代を「ジャヒーリーヤ」(無明時代)と呼ぶのは、イスラム以降の視点からの評価によるものです。

 乱暴、淫蕩、弱肉強食として描かれる「ジャヒーリーヤ」期のイエメン王国は、ユダヤ教やキリスト教が普及する文明圏で、砂漠のほかに耕地も存在し、さらには銀などの鉱物資源も産出したため、遠くペルシャからも早くから入植があったとされます。

 そこまで根深い男児たるもの、自ら武器を取って身を守れという「伝統」ですが、国際社会からは「やめろ」という意思表示がハッキリ示されます。理由があるからにほかなりません。 

 今日、少年期に就学の機会を逸すると、その後終生にわたって、その人もまた家族もその国全体も、長くダメージを負うことが解っているからです。

学ぶべきときに学ぶ大切さ

 私自身が直接、目で見たケースでお話しましょう。2008年、私はルワンダ共和国大統領府の招聘で同国に中期滞在して、ラジオメディアを濫用したメディア・マインドコントロールが同国で発生させた「ジェノサイド」の再発防止をサポートする仕事を手がけました。

 現地で様々な人と出会いましたが、その中で60歳前後でしょうか、ミシンを踏みながら花の刺繍を学んでいる男性の話が忘れられません。

 男性は1940年代末頃の生まれで、2008年当時は50代末か60前後と思われましたが、自分の年齢を正確には知らないのです。

 1950年代末、彼がまだ幼児だった時期にルワンダ=ブルンディでは内戦が勃発し、彼は少年兵として戦闘に参加します。