現役時代、鹿島アントラーズではさまざまなタイトルを獲得、貢献した。

 鹿島アントラーズ、テロ・サーサナ(現ポリス・テロ)、ファジアーノ岡山そして東京ユナイテッド。あらゆるカテゴリでプレーを続け、確かな足跡を残してきた岩政大樹が今季限りで現役を引退した。

 東京学芸大学出身で数学の教師の免許を持ち、ファジアーノ岡山時代から、サッカーについてのコラムを執筆するなど、異色の経歴を歩んできた元日本代表DFは、第二のサッカー人生(それを規定することを本人は否定するが・・・)に「サッカーを伝え、語り合う」こと選んだ。そのひとつがメールマガジンやLIVE配信、イベントなどで交流を深める場所、『PITCH LEVELラボ』だ。

 岩政は、その『PITCH LEVELラボ』内のメールマガジン創刊準備号で「今の日本ではサッカーを語りづらい」と指摘した。その意味とは――? 特別に内容をご紹介する。(JBpress)

サッカーをする=苦手なことでいかに勝つか

 15年のキャリアに終止符を打ち、プロサッカー選手を引退しました。

 私は小さい時から決して器用ではなく、サッカーをするのはその地域の子どもたちの中でもむしろ下手な部類でした。

 だから、僕にとっての「サッカーをする」は「苦手なことでいかに勝つか」。たくさん考えました。考えるしか生きる道がなかったのです。

 最後の2年間は、社会人リーグでプレーする傍ら、サッカーを教える(コーチ)、サッカーを話す(解説)、サッカーを書く(執筆)など、さまざまな角度からサッカーを捉えようと試みました。その上で、日本サッカーにおいて自分がとるべき立ち位置を見つけていこうと考えたのです。

 考えた先のことはいつも分かりません。サッカーはいつもそうです。考えたって答えなんかない。それがキャリアにおける私の答えでした。

 では正解がないならどうするのか。

 自分なりに考えてやってみる。ダメならまた考える。それを無限に繰り返すほかないのだと思います。そして、「サッカーの正解」はなくとも「自分(なり)」を発見していくことで納得して行く。それが人生なのだとサッカーから学んだのです。

 今回の「やってみる」はそこから生まれました。

 サッカーに正解はない。あるのは自分なり。

 であるならば、一方的に「サッカーはこういうもんだ」と言うこと自体がおかしい。みんなちがってみんないい。詩人の金子みすゞさんの言った言葉が浮かびました。

 だからこそ、サッカーが文化となっている国の人たちは毎日のように「あーでもない、こーでもない」と語るんだろう。正解がないから、それを終わりなく、飽きることなく続けているんだろう。

 そう考えると、今の日本ではサッカーをどうも語りづらい現状があります。

 まず、そもそも人に聞くのが恥ずかしい。サッカーが普及してきた今だから、今さらこんなこと聞けない。

 最近よく聞くサッカー用語も実際はよく分からない。でも、それを聞ける人はいない。知ったところでピッチレベルでどこまで大事なことなのか分かりようがない。

 指導法やマネジメントもインターネットや本で集めようと思えば情報はいくらだってある。でも、理解と実践はまた違う。知ったのはいいけど、どうしたらいい?