2016年、軽井沢の自宅にて

 急逝したコラムニストの勝谷誠彦氏。彼の「伴走者」とも言える世論社の代表取締役・高橋茂氏が、前回、本サイトに寄せてくれた、最期まで酒を手放そうとしなかった勝谷氏の生き様を描いた手記は大きな反響を呼んだ(「勝谷誠彦追悼 酒と戦わずして命奪われたコラムニスト」http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/54813)。その高橋氏が、なぜ勝谷氏がそこまで酒に溺れてしまったのか、改めて綴ってくれた。(JBpress)

知事選落選は原因のひとつ

「やっぱり昨年の兵庫県知事選挙で落選したことが影響しているのでしょうか」

 勝谷の入院後、何度もこの質問をされた。これが直接の原因ではないが、ひとつの大きなきっかけになったことは間違いない。

 勝谷は2015年に鬱病を発症している。私が知るところでは初めての鬱だったが、本人が言うには、以前も一度発症していたらしい。

「俺さあ、離婚したときもたぶん鬱だったと思うんだよ。なんだか全部嫌になっちゃってさ」と言っていた。また、彼曰く「俺は、生まれてずっと躁状態だったんだって。それが50代でドーンと鬱になったというわけ」とのことだった。

 本当かどうかわからないが、変に納得したことを覚えている。鬱の間は薬と一緒に酒を飲んでいたはずだ。

生真面目で一度始めたことは決してやめない性格

 勝谷の自慢話で、「俺は一度も締め切りを破って原稿を落としたことがないんだよ。取材後に編集者と一緒に呑んでいて、少し早くホテルに戻って、編集者が帰ったときには、俺からの原稿がメールで届いていることもあるんだよ」というのがある。勝谷の周りでは有名な話だ。

 今年の8月に途切れるまで、1999年7月から1年365日毎朝8時までに更新されていた日記『勝谷誠彦のxxな日々。』は、ギネスにも申請しようとしたほど、前例の無いものだった。2007年にメルマガ化されるまでは、毎朝10時までに1000字、ウェブで掲載をし、メルマガ化してからは、日記に付属させる時事ネタへのコメントがどんどん長くなり、5000字が毎朝勝谷から購読契約者に送られてきた。

 中学高校を無欠席で通したというのもよく聞く自慢話だった。「俺は中学から呑んでいたんだよ」ともよく言っていたが、それで休まないのだから大したものだ。いや、決して褒められたものではないが。