大学教育の本体への圧迫

 ここまでは、ある意味で想定範囲内というか、見方によれば「許容範囲内」の動きでもある。問題と論点は、この先にある。

 学生の潜在的能力やコンピテンシーの向上は、大学教育の本務である教養教育や専門教育を通じても、十分に追求できる教育的な課題である。もちろん、先にも触れたように、「大衆化の衝撃」以降の大学教育にとって、大学教育の本体への学生の動機づけを喚起することは、困難を極める課題ではある。

 しかし、その課題をクリアし、学生を本気で「学業」に向かわせることを通じて、結果として、就活にも役立つ潜在的能力やコンピテンシーの向上が図れるのであれば、それは、大学教育としても悪いシナリオではない。これまでの教養教育や専門教育のあり方を、社会的ニーズに「迎合」するわけでないが、社会的ニーズにも十分に噛み合う形に革新していくことにつながるだろう。

 では、大学はそう動くだろうか。残念ながら、少なくない大学は、最初から教養教育や専門教育のイノベーションを諦め、もっと手っ取り早い方法に飛びつくのではないか。なぜなら、現在のキャリア支援・教育も、まさにその手法を採用しているのだからである。

 想定される近未来は、大学教育の本体(教養教育、専門教育)は放置して、外付けのキャリア教育科目、正課外のセミナーや講座、学生の所属学部の専門性とは無関係な課題を追求し、しかし企業とは連携したインターンシップやPBL(課題解決学習)の機会を増やすといったキャリア支援・教育の肥大化に他ならない。

 当然、大学教育の本体は、学生の意識のうえでも、時間や労力をかけるべき対象としても、著しく希薄な存在となっていく。先に「グロテスク」と書いたのは、まさにこの意味に他ならない。

 これこそは、就活の変化を媒介として、大学教育の側が自らの墓穴を掘る方向に動いたとした場合の最悪のシナリオであろう。