「失敗」で刺激される思考

 学生の指導でも、同様。実験中、予想とは違う結果が出た。学生は失敗した、という。

「先生、どうしたらよいでしょうか」と尋ねてくる。

「そうだねえ、どうしたらいいんだろうね。僕も見当がつかないね。どうしよう?」と答えると、ビックリしたような顔で私を見る。

「・・・分かりません」

「そうだね、分からないね。僕も分からないから、何が起きたのか、丁寧に見ていこうか。このデータ、こういう数字が出ているけれど、これって何が起きたからなんだろう?」

 何か試されているのだろうか、と不安そうな学生。「・・・分かりません」。

 どうするか教えるのが指導者だろ、と、いろいろ不思議そう。

「私も分からないんだよねえ。どうせ分からないもの同士だ、何でも気づいたことがあったら、言ってみて。今のところは、正解が何かなんてことは忘れてしまおうじゃないか。私も何が正解かなんて分からないし」と伝えると、オズオズと学生は答える。

「お、なるほど、それは気づかなかったな。他には?」

「だとすると、どういうことが起きたんだろう? 何でもいいから、仮説を言ってみてくれる?」

 そうして学生の発言を促すことで、学生の思考が刺激される。失敗は失敗ではなく、私たちが予想したこととは違う「別の何か」の存在に気づきだす。

「お、いいね。その『何か』を突き止めるには、どういう実験を組んだらよいだろう?」と尋ねると、こうしてみてはどうか、という提案が出てくる。

「それだとこういう結果が分かるね。ただ、まだここが検証できない。それを検証するには?」どんどん答えさせて、思考を緻密にする。

 こうしたやり取りをすると、学生は自分で考え、自分で取り組みだす。