私は、研究者として講演依頼を受けることが多い。私のプレゼンは大変分かりやすいらしく、とあるメーカーの方がえらく感動して、「すごくよく分かりました! 資料いただけますか。社内でぜひ説明したいです!」と頼まれたので、資料を渡しておいた。

 ところが数日後、「意気込んでいざ、社内の人間にプレゼンしようとしたら、まったく言葉が出てこなくて・・・。あんなに分かった気がしていたから、簡単に説明できると思ったのに・・・。すみませんが、そちらに伺うので、もう一度話を聞かせてもらえませんか?」と電話があった。分かりやすいのに、深く理解できたと思うのに、なぜその人は社内で説明することができなかったのだろう?

「教えない」指導

・・・私はある日から、子どもの指導も、学生の指導も、「教えない」ことにしてみた。私自身を振り返ってみると、まずはやってみて失敗し、失敗をよく観察することで、うまくいく方法を模索し、また試してみて・・・という、トライ&エラーを繰り返すことで、一つひとつマスターしていた。ならば、子どもも学生も、「失敗」を疑似体験してもらったほうがよいのではないか、と考えたためだ。

「先生、これどうしたらいいですか?」と尋ねてくる子ども。

「どうしたらいいかなあ。教科書を読んでごらん」と私。

 キョトンとする子ども。

「・・・分からないから聞いているんだけど?」

「大丈夫、読めば分かる。教科書のどこかに書いてあるから、読んでごらん」

「分からないんだから、読んだって分かるわけないじゃん! 教えてよ! ね、お願い」

「大丈夫、君なら見つけられる。教科書を読んでごらん」

 押し問答を繰り返し、本当にこの人は教えてくれないんだと思った子ども。ペラペラ教科書をめくりながら、「この辺かなあ」といいながら、私の目を覗き込む。私の様子を見て、アタリをつけようとしているらしい。