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 ゴーン氏とは食事を共にしたこともあるが、「定期的にパリと東京を往復する生活は大変ではないですか」と尋ねると、「もうすっかり慣れて大丈夫です」と元気に語っていたのを思い出す。今回、地検は羽田空港に彼の乗るビジネスジェット機が到着するのを待ち受けて任意同行をしたのである。

 同時に、横浜の日産自動車グローバル本社やゴーン会長の自宅の捜査が行われている。

「対独協力」のかどで国営化されたルノー

 私は若い頃フランスで研究生活を送ったが、ルノーの大衆車「4CV」にはよく乗ったものである。そのルノーの歴史を少し振り返ってみよう。フランスの技術者ルイ・ルノーは1898年に後輪駆動のシステムを発明し、翌年には小型自動車を市販して成功し、ルノー社を立ち上げた。

 その後、ルノーは順調に売り上げを伸ばしたが、第二次大戦が始まり、ドイツ軍の猛攻にフランスは敗退し、1940年6月にパリが陥落し、ヒトラーに占領される。占領下、ペタン元帥がヴィシー政権の首相になって間接統治を始めるが、ルノー社はこの政権に協力する。それは生き残るために仕方のなかったことであり、ほとんどのフランス人がそうしたが、連合軍がナチスを撃退し、ドゴール将軍が帰還し政権に就くと、「対独協力」のかどでルノーは国営化されてしまう。

 戦後は「ルノー公団」として再出発する。こうして、フランス政府がルノーの経営に深く関わることになったのである。

 今でも、フランス政府がルノーの筆頭株主であり、15%の株を保持している。フランスは、アメリカのような経営風土ではなく、極論すれば社会主義的な政府の介入が多い国である。筆頭株主の政府がルノーの経営に口を出すのは当然だという空気である。

ゴーン批判を続けた大臣時代のマクロン氏

 マクロン大統領は、前大統領である社会党のオランド政権の下で、経済産業デジタル大臣を勤めた。オランド政権は、2014年に株式を長期に保有する株主の議決権を2倍にすることのできる「フロランジュ法」を制定したが、これを活用してルノーへの政府の支配権を拡大しようとしたのが、マクロン大臣であった。

自動車業界きっての「コストキラー」 カルロス・ゴーン容疑者の栄光と挫折

AFPBB News〕仏北部モブージュにあるルノーの工場を訪れたエマニュエル・マクロン仏大統領(左)と、ルノー・日産・三菱連合(アライアンス)のカルロス・ゴーン会長兼CEO(2018年11月8日撮影)。(c)Etienne LAURENT / POOL / AFP

 当時のフランス政府は約2割のルノー株を保有していたが、2015年、マクロン大臣は、政府の議決権が翌年4月には28%くらいになるように画策した上で、ルノーと日産を経営統合させようとしたのである。そうなると、フランス政府の支配権が強まるので、日産を代表してこれに抵抗したのがゴーン会長であった。

 このゴーン会長の抵抗が功を奏し、またオランド大統領の調停もあって、2015年末にはフランス政府が日産の経営に介入しないことで合意に達したのである。

 マクロン大臣はまた、ゴーン会長の巨額の役員報酬に対して厳しく批判してきたことも付記しておこう。