ベトナムの南沙諸島博物館周辺の公園にある記念モニュメント

 ベトナムのニャチャン市郊外にある南沙諸島博物館を訪ねる機会に恵まれた。南沙諸島や西沙諸島を巡る紛争は尖閣諸島問題よりもずっと深刻と言えよう。それは、この問題を巡ってベトナムと中国は何度も戦火を交え、多くの戦死者を出しているからだ。 

 最初の戦いは、まだベトナム戦争が行われていた1974年にまで遡る。

 当時ベトナムは南北に分断されており、北ベトナムは中国やソ連、南ベトナムは米国に支援されていた。ベトナムがまさに混乱していた時期に中国は本格的に南沙諸島への進出を開始した。それを阻止しようと、当時の南ベトナム海軍が出動して海戦が勃発した。

 この海戦でベトナム軍兵士70人以上が死亡し、中国側にも若干の戦死者があったとされる。文化大革命の下でも着実に海軍力を増強していた中国はこの海戦に勝利した。その結果、南沙諸島を実効支配するとともに、その領有を主張するようになった。

測量を行っていた非戦闘員を攻撃

 ベトナムは1975年に統一されたが、それ以降もベトナムと中国の間では南沙諸島を巡って対立が続き、その争いはエスカレートしている。なぜなら、中国は1974年以降も南沙諸島への関与を強めて、その実効支配をより強固なものにしようとしているからだ。

 1988年に入ると、中国海軍はその実効支配地域をマラッカ海峡付近にまで拡大しようと蠢動し始めた。そして1988年3月14日に多くのベトナム人にとって忘れることができない出来事が起きた。