昭和から平成初期にかけての時代、われわれにとって「ヤクザ」は日常の中にある存在だった。ところが2010年代に全国各地で暴排条例が施行され始めると、一転して彼らは「付き合ってはならない存在」となった。では一般市民の日常から見えにくくなったヤクザたちは、どのような世界に追い込まれ、その世界をどう生き抜いているのか。ヤクザの世界を取材し続ける社会学者・廣末登氏が、知られざる世界をレポートする。(JBpress)

時代の推移と観の変容

 平成の世がカウントダウンに入った。昭和に青春を生きた者としては、現在でも隔世の感を禁じ得ないが、そんなわれわれを置き去りにしつつ、歳月は流れ、世間は変わっていく。

 時代の推移と共に、大きく変容するものが「観」である。同じ状況や現象でも、観が変われば、その価値や社会的な受け止め方は全く異なるものとなる。換言すると、観の変容とは、その時代を生きる人々の眼差しの変化、社会が抱く対象イメージの変容といえるのではないか。

 例えば、昭和の時代、不登校児童は登校拒否として問題児扱いにされていた。そして、不登校の原因は子ども自身、あるいは、子どもを登校させない親の責任として、学校や世間の父兄は非難したものである。しかし、現在はどうか。「不登校」の子どもの問題は学校や教員に帰責され、不登校を容認する社会的な観が醸成された。

 子どもの非行も「やんちゃ者」から「若い犯罪者」という観が芽生えつつある。少年法は厳罰化に傾斜している。2022年4月から18歳成年となり、約140年ぶりに成年の定義が見直される。この変化は、もしかすると、非行少年観の変容に拍車をかけるかもしれない。これまで成人犯罪者と異なる教育的処遇の対象とされてきた少年が、成人同様の処遇を受けるのではないかと危惧するところである。

 大人観も随分と変わった。昔の大人、少なくとも筆者の大人観は、夜遅くまで仕事をしつつも、タバコと酒を存分に嗜み、三つ揃いのスーツやトレンチコートが似合う仕事人間であった。男気という点においても、懐が少しくらい寂しくても、若手には酒を飲ませて恰好をつけることを美学とした。しかし、昨今、部下を強引に酒席に誘うとパワハラ・ランプが点滅するし、タバコを嗜む男子は不健康のシンボルであり、平成生まれの女性にモテないそうである。まこと、ここ十数年における観の変容、眼差しの変化には、驚きを禁じ得ない。

ヤクザから反社会的勢力という観の変容

 近年における観の変容で、もっとも窮地に陥っているのは、ヤクザではないだろうか。

 昭和から平成の初期は、市井のサラリーマンでも、居酒屋の一角でヤクザ話に花を咲かせたものである。そして、どこそこ組の幹部と一献盃を傾けたとか、ゴルフをプレーしたことが、ちょっとした自慢になったものである。洋服屋にヤクザの顧客はつきもので、若い者が出所したら、(刑務所内の健康的な食生活で)体型が変わっているため、親分が馴染みのテーラーを事務所に呼んで、「放免スーツ」を作ってくれていた。

 祭りともなると、ヤクザは血が騒ぐようで、もろ肌脱ぎで桴も折れよと太鼓を叩いたものである。しかし、それらははるか遠い時代の牧歌的な記憶となり果てた。

 現在、当局から「密接交際者」などと疑われたら、自営業者にとっては死活問題である。ヤクザと一緒に公然と会食したり、ゴルフプレーをしようものなら、密接交際者として自治体のホームページに実名と社名が掲示される可能性がある。そうなると、公共工事の入札は出来ないし、銀行融資も受けられなくなる。実際、こうした事例は福岡県で発生しており、密接交際者とされた企業で倒産したところもある。

 当然、祭りにヤクザが公然と参加することはできなくなり、筆者の感覚では、祭りの殷賑が薄れてきたように思う。

 例えば、筆者の地元である博多。そこには九州一の歓楽街・中洲がある。中洲では例年10月末に「中洲まつり」があるが、ここでも数年前からテキヤが参加できなくなったことで賑わいが半減した。素人が「飲食ワゴン」なるもので祭りを盛り上げようとしても、プロであるテキヤには及ばない。

 そもそも神農を崇めるテキヤはヤクザではない。たしかに、テキヤの親分はヤクザと盃をするが、若中頭をはじめ配下の若い者はカタギである。当局の論理では、「組織のトップである親分が、ヤクザと盃を交わしていたら、そりゃもう『密接交際者』だから排除せよ」という論理かもしれない。しかし、それは日本の慣習であり、江戸時代の寺社奉行管轄の庭場から、バイ(商売)を行ってきた長い歴史を背景とした陋習である。あまり厳格に取り締まるのは如何なものかと思う。