移住の最盛期には数年間で人口が10~15%増加したそうだ。その際、言葉の問題はなかったのかとの質問に、大きな課題であった、彼らはロシア語しか話せなかったので大急ぎでヘブライ語の習得を促したが、女性の方が速く適応できたようだと話していた。私は英語かなと思っていたので、ヘブライ語とは少し意外であった。

 前日に経済省OBから政策の歴史を聞き、翌日、経済省現役官僚から話を聞いたが、その冒頭で「今は以前とはやり方を変えている」と明白に言われたのには少々驚いた。確かにかつてその名を轟かせた“Yozma”(ヘブライ語でイニシアチブを意味する官製ファンド)は今や民営化されているし、国主導で立ち上げたインキュベーターのいくつかも民営化しているというように、時々の環境変化に敏感に反応し、政策を進化させてきているとの印象を強く受けた。

 なお、イスラエルにおけるアポは、十分に時間的余裕をもって配置しておいた方がいい。その話なら誰々に聞いたらいいと、その場で先方に電話してくれ、電話を受けた方もその人が言うなら会いましょうというように、どんどんアポ先が増えていくからである。シリコンバレーもおそらくかつてはそうであったのではないかと思うが、最近を知る人によれば、今ではコネがあったり、ビジネスの話でないとアポも取れないということである。

混沌(カオス)から生まれるスタートアップ

 思うに、シリコンバレーのスタートアップは、混沌(カオス)とした中から生まれてきたのだと思う。

 自分の研究しているテクノロジーについて包み隠さず紹介し、それなら誰それと組んだらどうかというヒントをもらう。起業家がVCを訪問してそのVCとはうまく話が運ばなくても、そのビジネスならどこそこのVCが詳しいからそこに行ってみてはどうかとか、そのテクノロジーなら誰それが同じようなことをやっているので訪ねてみてはどうかとか、次につながる話をしてくれるという。会社を背負う日本人駐在員は、本社の許可もなく手の内を明かすわけにもいかず、その時点で相手にされないという。

 そのようなカオスの状況が、かつてのシリコンバレーでは、コーヒーショップやガレージで展開されていたと聞いている。しかし、現在ではシリコンバレーは少しブランド化してきており、敷居が高くなってきたとも聞いている。それがイスラエルでは、まだそのような混沌とした状況が残っているという。