寒い寒い、冬の季節。天気が悪いこともあり、たくさんの洗濯物を室内で乾かそうと、その人は暖房をつけた。そうしたら友人から「暖房じゃなくてクーラーの方が乾くよ」とアドバイスされたという。

 その人はなんだか怒りながら、私にグチをぶつけた。「ほら、中学校の教科書にだって、ホウワなんちゃら(飽和水蒸気量)ってあったでしょう、暖かい空気の方がたくさんの水蒸気を抱えられるってやつ。温かいほうが乾くに決まってるじゃん。それをクーラーの方が乾くって! クーラーじゃ空気が冷えて、ホウワなんちゃら(飽和水蒸気量)も小さくなって、乾きにくくなるのは常識じゃん! 中学レベルの内容も知らないんだから」とおかんむり。

 私は一通り聞いた後、「案外、その友達の言うことが当たってるかもしれんね」と言うと、目を丸くして意外な顔をされた。「ブルータス、お前もか」みたいな感じで。

 私は続けた。「その友達、経験からそう言ってたんでしょ? だったら、教科書より経験の方が正しいと思うよ。考えてごらんよ、暖房をつけて空気を温めたほうが、そりゃ水蒸気はたくさん抱えられるかもしれないけれど、その水蒸気は部屋の中を漂っているだけでしょ。でもクーラーなら、機械の中で結露した分が部屋の外に排出される。クーラーで乾燥した空気が部屋に送られるから、洗濯物からまた水蒸気になって空気が抱え込む。それをクーラーが部屋の外に出す。クーラーの方が洗濯物が乾く、ってのは、案外そのとおりかも」と説明すると、その人は「あ」と言って、納得したようだ。

 本庶氏のノーベル賞受賞になった研究も、「免疫療法はうまくいかない」という教科書的常識を打ち破るものだった。しかしその教科書的常識は、「免疫にアクセルをかけて強めようというアプローチを取る限り」という前提があった。本庶氏は、前提を「免疫にブレーキをかけるものにアプローチ」に変えた。それが、これまでの常識とは異なる結果を生み出したのだと思う。

 多くの人がしばしば口にする「教科書を信じるな、疑え」というのは、気持ちが分かるようで、ちょっと大雑把な表現なのかもしれない。私が表現するなら、「教科書の隠れた『暗黙の前提』を見破り、その前提条件を変えてみよう」で十分だと思う。もしその視点を持って眺めると、教科書はイノベーションの宝庫だ。なにせ、前提さえ変えてしまえば、教科書(つまり、これまでの常識)を覆す、超意外な結果が出てくる可能性があるのだから。

 だから、画期的な成果を出したい人は、まず常識を知ろう。教科書に書かれている「正解」を知ろう。そしてその上で、それら常識、正解が、どんな前提条件で成り立つのかを考えてみよう。前提条件がどんなものか見抜けたら、その条件を変えてみよう。そうすれば、これまで誰も検討したことがない実験ができ、意外な結果を得ることができる可能性がある。