ところがある研究者が、「水素でどのくらい脆くなるのかみてみたい」と考え、高濃度の水素に金属をさらしてみた。すると、意外なことに、水素は金属を脆くするどころか強くし、しかも水素が染み出なくなった。

 どうやら、中途半端な濃度の水素に金属をさらすと、目に見えないスキマに水素が入り、そのひび割れを広げて金属を脆くすると同時に、金属の板を突き抜けて水素がにじみ出るようになるのだけれども、高濃度の水素にさらした金属は、隙間を水素が埋めて金属の強度を増し、しかも水素の通り道をふさいで、水素がにじみ出られなくなったらしい。

 ここで考えたいのは、「前提」だ。水素脆化という教科書的現象は、「中途半端な濃度の水素にさらしたら」という前提があった。しかし「非常に高い濃度の水素にさらしたら」と、前提を変えてみると、別の結果が出たわけだ。

 そう、教科書というのは実は、暗黙のうちに「前提」が隠されている。その暗黙の前提が守られている限りは、教科書に書いてあることは正しい。しかし、前提が変わってしまえば、教科書に書いてある結果が出るとは限らない。誰も見たことのない結果が出る可能性が大いにある。前提を変えてみた人が過去にいないなら、画期的な成果となる可能性は結構高い。

常識が成り立つ「前提」は?

 別の事例を紹介しよう。鉄の話だ。

 鉄がさびやすい金属だというのは、身近な経験として誰もが知っているし、教科書にもそう書いてあったりする。しかしある研究者が、「とことん純粋な鉄を作ってみよう」と思い至った。99.9996%と、超高純度の鉄を作ってみると、なんと、空気にずっとさらしても銀色の輝きを失わず、さびなかった。塩酸に溶けるはずの鉄が、超高純度の鉄は溶けなかった。常識とはまったく異なる性質が現れたのだ。

 これも、「鉄はさびやすい」という教科書的な常識は、「中途半端な純度の鉄(不純物をそこそこ含む鉄)の場合」という「前提条件」が、暗黙のうちに隠されていたわけだ。しかし、その前提条件が変わり、「超高純度の鉄にしてみたら」になると、まったく異なる性質が立ち現れた。このように、教科書が暗黙のうちに前提していることを変更すると、別の結果が現れる。

 身近なところでも、こんなことがあった。