討論に巧くなればなるほど、相手に勝ったという快感は得られるかもしれない。しかし、勝つために相手の妥当な指摘から学ぶことを拒否し、ひたすら相手をこき下ろすという作業を続ける中で、学びが失われてしまう。日本人はいまや、このスタイルがはびこってきたような気がする。自ら「バカの壁」を作っているかのようだ。相手から学べない。

バカの壁』とは、養老孟司氏の著作名だ。その著作では、人間はしばしば「バカの壁」を築いてしまうという。相手が自分より劣った存在だとみなすと、相手の意見がすべて愚かなものに見え、すべてバカにしたくなってしまう。こうして、相手から学ぶ機会を自ら失い、「バカの壁」を築き、「バカにしたほうがバカなんだよ」という、大阪の小学生がよく口にする状態に陥り、自分自身の学びが停滞してしまう。

「朝まで生テレビ!」や「2ちゃんねる」で行われる討論は、「相手をバカにする」スタイルで行われている。これをマネしたら、「バカの壁」が形成されやすい。何しろ、相手を言い負かしてナンボ、大きな声で相手を黙らせることが勝利の証なのだから。相手の意見はすべて愚劣に見え、自分に賛同してくれる意見と人間はすばらしいと評価する。こうして、自分の論理に閉じこもって学びが失われ、知的退歩が起きてしまうのだ。

「見世物」から「学び合いの場」に

 特にネットでの討論は、いかに相手を苛立たせるかという心理戦も巧い。これでは感情的になり、真実追究、知見のブラッシュアップからどんどん遠ざかり、相手を打ち負かすことにだけ、双方、熱を帯びてしまう。これでは学びが形成されにくい。相手を憎むあまり、バカにしたくなり、罵りたいあまりに、相手の論を取るに足らない愚論だと決めつけたくなる。

「築論」ではそうした不毛な状態を回避し、学び合いの場として話し合いを捉える。家を建築するには、ノコギリだってカナヅチだってクギだって木材だって必要だ。多種多様な道具や素材があるから、家は成り立つ。築論は、それぞれの強みを生かし合う発想で進められる。

 もちろん、討論も上手に運営すれば真実追究、議論のブラッシュアップに生かせる、という意見もあるだろう。しかし、日本では「朝まで生テレビ!」や「2ちゃんねる」に毒されて、「論理的な体裁をとった罵りあい」に堕しやすい傾向がある。プロレスみたいで見世物としては面白いのだが、それを一般社会で実行すると、大変なことになる。