当時のアサヒグラフなどは路上でにこやかに散髪している写真や、菓子をもらった中国人の子供が喜んでいる写真を掲載している。虐殺の痕跡などどこにも見当たらない。

 女流作家として吉屋と張り合い、従軍記事も好んで書いた『放浪記』の林芙美子も、また虐殺が続いていたとされる年末から正月にかけて取材する。

 日本軍の蛮行となれば何でも誇大宣伝したい中国は好んで証拠を残したであろうが、林は何一つ見つけることができなかった。

 それどころか、『女性の南京一番乗り』で、「玄武湖の元旦の景色はなごやかなものだ。昨日まで馬や支那兵の死骸を見てきた眼には、全く幸福な景色である。立ってゐる歩哨の兵隊さんも生々してゐるし、街には避難民達がバクチクを鳴らしてゐる。バクチクの音は耳を破るやうにすさまじく鳴ってゐて、その音をきいてゐると、わっと笑声を挙げたいほど愉しかった」と記している。

 翌二日も「南京上空には敵機の空爆があったさうだけれども、私は、日当りのいゝ徐堪の宿舎の二階で、故郷の友人達へ宛てゝ年始状を書いてゐる長閑さであった」と書いているではないか。

 批判者は、『ラーベ日記』にある事件などを持ち出して、軍の検閲が厳しく、真実が書けなかったともいうが、ラーベ日記に書いている事件も、虐殺とは程遠い略奪や強姦、放火などで、しかも日本軍とは限らず、また件数も2桁台、人数にして数十人でしかない。

 従来、南京について語る人は、局所的に南京事案だけを取り上げて云々してきた。

 しかし、中国軍の蛮行である通州事件、そして上海戦、続く日本軍の蛮行とされる南京事件を相対的に見て比較検証すれば、実体が火を見るよりも明らかに浮かび上がってくる。

 国民党時代の蒋介石は「タイプライターで戦争している(すなわち宣伝戦)」と、中国軍にも従軍した米人記者が種明ししている。