続けて「日本軍には捕虜を管理する余裕がなかったので、降伏した兵隊や市民の大方を殺害してしまいました。正確に何人が殺害されたか、細部については歴史学者のあいだにも異論がありますが、とにかくおびただしい数の市民が戦闘の巻き添えになって殺されたことは、打ち消しがたい事実です。中国人死者の数を四十万人というものもいれば、十万人というものもいます」と述べる。

 この記述自体はイデオロギーでも40万人の断定でもないが、そんなことにはお構いなしに、「著名人」が書いた「40万人」として、歴史戦に利用価値を見出すのが中国である。

証拠を見い出せなかった林芙美子

 盧溝橋事件から3週間後に中国軍が日本市民250余人を一晩に虐殺した通州事件が起きた。

 中国が起こした虐殺事件で記者などもほとんどいなかったが、生き延びた僅かな人々による事件の記録が生々しく残された。

 『女人平家』で人気作家の吉屋信子は事件から1か月後に取材する。そして書ききれないほどの事実を現場で発見し記録した。

 中国軍が行った蛮行だから中国側は早急に隠蔽したかったであろうが、至る所に証拠は散在していたのだ。

 他方で、南京での掃討戦は6週間続き、件の数の市民を日本軍が虐殺したと中国側は主張する。

 朝日新聞や毎日新聞、同盟通信社などそれぞれ従軍記者や写真家、画家などを各50人前後、外国の新聞や通信社なども含めると総勢200人を超す記者などが南京にいた。

 石川達三などの小説家もいた。しかし、誰一人として大量虐殺というものものしい報道をしなかったし、記事も書かなかった。