重いテーマというけれど

 最近のノーベル文学賞の受賞者の経歴や受賞理由は、「重い」方に傾いているとされる。

 2014年受賞のパトリック・モディアノ(仏)は、ナチス・ドイツ占領下のパリで、ユダヤ系イタリア人の父と、ベルギー人女優の間に生まれた作家で、「最も捉え難い人々の運命を召喚し、占領下の生活世界を明らかにした記憶の芸術」で授与された。

 2015年受賞の女性作家スヴェトラーナ・アレクサンドロヴナ・アレクシエーヴィッチ(ベラルーシ)はベラルーシ人の父とウクライナ人の母の間に生まれ、『チェルノブイリの祈り』で「我々の時代における苦難と勇気の記念碑と言える多声的な叙述」が授与理由であるが、自国(ベラルーシ)では出版できなかったという。

 こうした授与理由から、日本人作家では村上氏よりも、むしろ「水俣」をテーマとする石牟礼道子氏の方が有力ではないかと思う人さえいるようだ。

 ハルキストたちはカズオ・イシグロが受賞した時は一瞬がっかりもしたようであるが、同時に両者には類似性が見られるらしくイシグロの受賞に納得したとも言われる。

 イシグロの作風はリアリズム小説あり、SF仕立て、あるいはファンタジーの趣のものなど、多岐にわたる。

 しかし、どの作品にも共通して、人間の生が抱える原理的な不自由、すなわち「運命の囚われ人」を描いていることだといわれる。そのテイストはカフカに近いという人もいる。

 スウェーデン・アカデミーがイシグロへの授与で挙げた理由は、「偉大な感情の力をもつ小説で、われわれの世界とのつながりの感覚が不確かなものでしかないという、底知れない淵を明らかにした」であった。

 村上作品に登場するのも、多くの場合、疎外意識をもった人物ではあるが、その不自由さはイシグロの登場人物ほど切羽詰まってはいないと評される。

 イシグロの世界では「意のままにできない現実」のただ中に否応なく巻き込まれる人物であるのに対して、村上ワールドの人間は自分を取り巻く「なじめない状況」に距離を保ち、これと批判的に関わるという「重さ」の違いがあるようだ。