「鉄拳制裁を受けたことが成長につながった」と答える選手は多い(写真はイメージ)

 スポーツ界で顕在化するパワハラ問題。当たり前の「悪」が正されない理由はどこにあるのか。

 野球界の「暴力」について取材を続けてきたスポーツジャーナリスト・元永知宏氏は、指導者の潜在意識に「暴力はいけない。だけど・・・」という思いがあることを指摘する。どういうことか。(JBpress)

「暴力はいけない。だけど・・・」

 私が「野球と暴力」をテーマにした『殴られて野球はうまくなる!?』(講談社+α文庫)の取材を始めたのは、いまから3年前のこと。スポーツ指導者の暴力やパワハラがワイドショーで取り上げられる前だった。

 野球界に暴力があることは周知の事実。なのに、公の場で語られることは少なかった。

 なぜならば、いつの間にか暴力は「ない」ことが前提になり、「暴力のおかげで勝てた」とは口が裂けても言えない状況ができたから――。私の取材は、「野球の指導現場から暴力は本当になくなっているのか?」というところからスタートした。

 プロ野球経験者、指導者、選手たち、その親など30人以上に話を聞いてみたところ、昔と比べて減ってはいるけれど、まったくなくなっているわけではないことがすぐにわかった。

 野球界にはびこる暴力には、いろいろな種類がある。

・指導者からの暴力(暴言も含む)
・上級生から下級生への暴力(「集合」「説教」「罰走」など)
・同級生同士の暴力(ケンカ、内輪もめ)

「暴力はいけない」「暴力では何も解決しない」。

 そんなことなど、TVのコメンテーターに指摘されなくても指導者はみんなわかっている。なのに、どうして暴力はなくならないのか? 部が出場停止になることも、指導者が仕事を失うこともあるのに?