私は、身近に事件の犠牲者があり、オウム真理教事件とその裁判、判決後に20余年関わってきました。

 データマン丸投げの村上氏の本の事実誤記の悪質さは許容範囲を超えており、スタッフが取ってきた傍聴券で聴いた法廷の感想など、多くの日本人が現状を追認する方向に寄り添う、事実とほとんど無関係なストーリーだらけで、二度とこの人の作文は読むまいと怖気をふるったものでした。

 河出書房新社からの依頼で、毎日新聞に掲載された作文を読みましたが、第1文から問題だらけで、お話しになりません。

 実は、この連載向けにも村上氏の作文「詳解」を記そうと思いました。

 しかし、本当に冒頭の2センテンスだけで1回分の紙幅をオーバーしてしまい、そもそも、元の文章があまりに不潔に感じられ、出稿をペンディングしている状態というのが実のところでもあります。

 今回の稿のリアクションを見て、爾後どのようにするか、考えるつもりですが、ともかくこの作家の「TPOによる内容の書き分け」と、それと対照的に一貫した「現状追認による販売促進」の姿勢は、ノーベル賞が求める「理想を指し示す傾向」と対極にあります。

 これは私のみならず、様々な関係者とここ10年、幾度も確認する機会があったことで、およそノーベル文学賞受賞など考えられるものではありません。

 四半世紀以上にわたってオウムの問題に悩まされてきた一個人として、この作家さんには、地下鉄サリンだけに矮小化して、再発防止の観点からはおよそ有害無益としか言いようのない作文を、二度と公刊しないでもらいたいと思っています。

 現状を追認し、およそ理想的な方向に国内外世論を導かないのみならず、こうした現実を自己PRに利用する姿勢そののものに、倫理の観点から強い疑問を抱かざるを得ません。