野口の出世作は1911(明治44年)、梅毒スピロヘータの純粋培養で、この仕事によって京都帝国大学から医学博士の学位を得、また彼の名は世界の医学界に知られることとなりました。

 逆に言うなら、野口の仕事以前には、「性病」がどのようなプロセスで感染し、病気の正体が何で、どのようにすれば予防でき、また感染した場合どうすれば治療できるか、といったことは、全く知られていませんでした。

 加えて言うなら、病原体が知られた後も、抗生物質などによる治療法が確立するには30~40年近い時間がかかっています。

 梅毒や淋病などの性感染症が、下手をしても命にかかわらない病気と見なされるようになったのは、たかだか昭和中期、今から50数年前のことに過ぎないと言っていいかと思います。

 つまり、私の母が10代の娘時代は、野口がスピロヘータを見つけてはいましたが、抗生物質は発見されるかされないかの、昭和初期の戦争の時期でした。

 戦時中の日本にそんなものは入って来ず、そもそも日本列島は日々、空襲にさらされていましたので、交際もへったくれもない時代でありました。

 一度罹患したら対処の方法のない目に見えない性病の類に感染することは、直ちにある種の人生の終わりを意味したわけです。

 彼女の貞操観念は一定、その時代時期にあって妥当なものだったと言えると思います。