土屋 「他人と同じことはやりたくない。でもこれは面白い」っていう個人の直感です。だからそれをずっとやっているテレビ東京のバラエティー番組が非常に注目されている。

田原 今でもテレ東は、他所と同じことやったら視聴率は上がらないと思ってる。だから、独自路線でやっているわけです。

土屋 だから話題にもなるし、実は視聴率も稼いでいる。そのスタイルがテレビの本質だと思うんですよ。

編成局長をだまして生放送の最中に「天皇問題」を議論

田原 以前のテレ東は、選挙の投開票日に他局がみんな選挙番組をやっていても、違う番組をやっていたくらいですからね。

土屋 その精神は脈々とつながっていると思いますね。モノづくりにおいては、「今、当たっているものをやろう」っていう発想は一見ビジネスに直結するように見えるんだけど、実は最も生き永らえない方法だと思うんです。他にないもの、他がやっていないものを作ろうという精神が、テレビの世界では特に必要だと思いますね。

田原 『朝まで生テレビ』をはじめて2年目に、昭和天皇がご病気になり、危篤になった。それで僕は、日下雄一という番組のプロデューサーに「今こそ天皇問題をやろう」と持ち掛けた。

田原総一朗:東京12チャンネル(現テレビ東京)を経てジャーナリストに。『朝まで生テレビ』(テレビ朝日)、『激論!クロスファイア』(BS朝日)に司会として出演する傍ら、活字媒体での連載も多数。近著に『AIで私の仕事はなくなりますか?』 (講談社+α新書) など。

 それで日下氏が、編成局長の小田久栄門に、「今こそ天皇問題をやりましょう。戦争責任問題までやらせてください」と談判にいった。そしたら小田久栄門は「ばかやろう」と。当時は今よりも皇室問題はタブー視されていたし、天皇が危篤状態の時に天皇問題を扱うと右翼から攻撃される可能性があった。だからテレビ局の編成局長の判断としては当然ですよね。

 でも日下氏が偉かったのは、「ばかやろう」って言われても引き下がらなかったこと。4~5日たったら、また行く。そして「ばかやろう」と。また数日たったら行く。また「ばかやろう」。

 4回目は僕が一緒に行って言いました。「小田さん、企画変えた」と。「次のテーマはオリンピックと日本人、これでやろう」と。その年はソウルでオリンピックの年でしたからね。小田さんは「それは面白い」と言った。

 そこで僕は続けた。「だけど、小田さん。『朝まで生テレビ』は生放送だよ。始まるのは、夜中の1時過ぎだ。その時間、あなた寝てますよね。終わるのは朝の5時。その時間もたぶん寝てますね。生放送の途中で内容が差し替わってもあなたは気が付かない。そのぶん、責任もない」と。そうしたら「俺をだますのか。けしからん」と怒った。

 でも小田久栄門は、「もしかしたらだまされるかも」ということを承知の上でOKしたんだね。当日の新聞のテレビ欄に載ったタイトルは『オリンピックと日本人』。で、本番が始まってオリンピックの話題を40~50分やったころで僕が、「今日はこういうことやる日じゃないんじゃないか。天皇問題をやろう」と切り出した。それで、あらかじめ待機してもらっていた大島渚、野坂昭如らに出てきてもらい、天皇問題を扱ったわけ。

土屋 あり得ないですよね。天皇問題を、ましてや生放送の番組中に突然始めちゃうなんて。

土屋敏男:日本テレビ放送網 日テレラボ シニアクリエイター、一般社団法人1964 TOKYO VR代表理事。『進め!電波少年』や『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』など多くの人気番組を手掛ける。昨年、萩本欽一を主演に初監督映画『We Love Television?』を公開した。

田原 ところがね、テレビで天皇問題を議論するなんていうのはパネラーの人たちも初めてでしょう。みんな、なかなか議論に踏み込んでいかないんですよ。そしたら日下プロデューサーがCM中に出てきて、「あなたたちが『やろう』って言うからやったのに、周りばっかり回ってる。まるで皇居マラソンじゃないか。もっと思い切って踏み込めよ」と一喝した。それで、みんな恐々入ってきてなんとか議論になった。この回は視聴率も高かったんですよ。