ソクラテスの弟子、プラトンは、ソクラテスを主人公とした物語をたくさん執筆している。その中に「メノン」というものがあり、なかなか興味深いシーンが描かれている。数学の素養のないソクラテスが、これまた数学の知識がない人間に質問を重ねるうちに、それまで誰も発見したことがなかった図形の定理を見つけ出した、というエピソードだ。

 果たしてこれは実際にあったことなのか、プラトンの創作によるものなのか、はっきりしない。しかし、ソクラテスが自分の得意技として考えていた技術を見事に表現した場面となっている。ソクラテスの得意技、それは「産婆術」だ。

ソクラテスの「訊く」方法

 産婆術とは、文字通り読めば、赤ちゃんの出産を助ける助産師(産婆)の技術ということになる。ソクラテスは、無知な者同士が語り合う中で新しい知を産みだす技術のことを産婆術と呼び、自分はそれが得意だと自認していた。

 では産婆術とは、どんなものだったのだろう? 端的に言えば、「訊く」ことだった。「へえ、それはどういうこと?」「こういう面白い話があるんだけど、それと組み合わせて考えたらどうなるだろう?」と、質問を重ね、相手の思考を刺激し、発言を促す。「聞く」とせずに「訊く」としたのは、相手の話をただ受け身で聞いているだけではなく、新しい情報を加えながら、質問を重ね、次から次へと思考の幅を広げながら話を聞く形だからだ。

 このソクラテスの産婆術は、実は現代に蘇っている。「コーチング」と名を変えて。Yes/Noで答えるしかない質問ではなく、5W1H(What/Who/Where/When/Why/How)と呼ばれる「開かれた質問」(どう答えるかは、相手次第に任される)をすることで、会話を途切れさせず、次々と話題を展伸し、思考を深める技術だ。

 カウンセリングでも「傾聴」が重視されている。しかし傾聴するにも、ただ黙っているだけでは相手も話しにくい。話すきっかけを与えるためにも、「訊く」ことが大切だ。

 ソクラテスは、若い人と話すときには知恵の泉をどんどん発掘し、対話を楽しんだが、「俺は天才だ」という人と対話すると、不思議な現象が起こった。天才たちはみな、怒り出したのだ。

 原因は「天才」たちの知ったかぶりにあった。プロタゴラスやゴルギアスといった、当代随一の天才と呼ばれた人たちは、ソクラテスから質問を受けると「ああそれはね、こういうことだよ」と、博識なところを見せつけた。しかしソクラテスが質問を重ねると、さっきといまの発言の間に矛盾があることが浮き彫りになり、最後には「実は、その件はあまり知らないのだ」と白状する羽目となった。