前回のこの連載原稿が掲載された1月28日金曜日、日本時間では夕方にあたる時間帯、イスラムの週間行事では最も盛大な、モスクでの「金曜集会」が終わったあと、誰が誘うともなく、集まった人々がデモ行進に連なって、「エジプト騒乱」が始まった。
本コラムのリリース時点でも、ムバラク政権の退陣時期について米国を中心とする大国とエジプト政府との熾烈な交渉が、民衆間の衝突と並行して進んでいる。
エジプトの問題を「革命」とか「レボリューション」などと表記するものを目にするが、こうしたことには慎重であるべきだと思う。
エジプト・アラブ共和国は国連加盟国でホスニー・ムバラク大統領はその国家元首だ。30年にわたる長期政権の統治に不満を持つ民衆がいることは間違いないだろう。
しかし暴動が起きたという情報から、即座に「革命」といった言葉を使うのは安易に過ぎると言わねばならない。
むろんそれは、政府による民衆のデモンストレーションへの圧力、とりわけ武力行使を含む強権発動を容認するものではない。こうした事態が発生した時、見識ある国家の姿勢とは次の3点に尽きると私は考える。
第1に 国民への武力行使を慎むよう呼びかけ
第2に 平和的な問題解決、とくに冷静な対話の重要性を喚起し
第3に 早期の状況の安定化を希望するとともに、復興への協力を約束する
これらは各々、現実問題として「国益」を考えるうえでも必須不可欠なポイントで、実際に米国のヒラリー・クリントン国務長官や、英独仏のEU中核参加国首脳連名の声明でも、基本的にこうした点が押さえられていた。
日本の観点から、このエジプト騒乱を見た時、死角に入りやすい問題を3点、考えてみたい。
国より優先する部族
1月14日、チュニジアのベン=アリー大統領がサウジアラビアに出国=亡命した翌15日、私はとあるエジプト人の日本研究者と夕食を囲んでいた。
これは私たちが2011年度から中東のモスク建築内での音声や祈りの朗誦の響きを調べる、国際共同研究プロジェクトを進めるため、現地事情などディスカッションするための会合だったが、食卓の話題として「チュニジア政変」が当然のように登場してきた。
そこで彼が語ったのは「混乱の飛び火」への懸念だった。そして図らずもそれは2週間以内に、彼の故郷エジプトでの現実となってしまった。