高岡・窪川・中村高校西土佐分校・城山連合チーム。土日に窪川高校グラウンドで練習を行う(撮影:秦昌文)

 球児にとって、甲子園の存在は別格だ。憧れだけでは表現しつくせない魅力がある。その甲子園を目指すことができなかった球児たちがいた。連合チームの話である。(JBpress)

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――最後に、夏の目標を教えてください。 春季県大会ベスト4入りを果たしたチームにやってきた取材陣たちは決まってそう尋ねた。語弊はあるが、取材する側にとってあまり大きな意味を持たない質問。答えはだいたい決まっている。

「甲子園です」。謙虚に言っても「まず1勝です」だろうか。

 監督の高橋司は、その質問を聞くのが好きではなかった。つい、答えている選手の顔色を窺ってしまう。

 主将の山本寛治は言った。

「テッペンを取ります」

「甲子園を目指せない」球児たち。春季高知県大会でベスト4にまで進出した高岡・窪川・中村高校西土佐分校・城山4校連合チームだ。

 2014年のことである。この年の3月末に行われた春季大会、彼らの躍進はひとつのトピックだった。4種類のユニフォームを着た14名の選手たちが、まるで長い間一緒にプレーしてきた「高校」のように団結し、声を掛け合い勝ち進んだ。

 4校連合となったのはおよそ2カ月前から。秋季大会以降、高岡・窪川・中村高校西土佐分校の「3校連合」だったところに、城山高校が加わった。

 2014年春に高知の4校連合の躍進が脚光を浴びたのは、連合チームにとってそれほど「1勝」が遠いことの証左でもある。

 そもそも「連合チーム」とは2011年の東日本大震災の特別措置としてその適用範囲が大きく広がった制度だ。それまで(1997年以降)、「学校の統廃合を控えている場合に限り高野連の承認を得て」認められていたが、2011年に、部員数減少によって出場ができなくなる高校同士で連合を組むことができる特別措置を実施。翌年には要件を緩和し、部員数8人以下の2校が組んだ連合チームでも地方大会、全国大会に出場ができるようになった。

 しかし、連合チームが勝ち進んで甲子園までたどり着くのは至難の業と言ってよい。人数が少なく、実力のある選手が集まるとも限らない。また後でも述べるように、チーム全体の練習を頻繁に行えないからだ。