この東方遠征、受験生がよく使う『世界史用語集』(山川出版社)では、「ギリシア・マケドニアの連合軍を率いてアレクサンドロス大王がおこなったオリエント世界への遠征。アケメネス朝を滅ぼし、東西文化を融合させ、ヘレニズム時代をもたらした」と解説されています。これが一般的な理解でしょう。

 一方、日本のアレクサンドロス大王の研究者として名高い森谷公俊氏は、こう述べています。

「・・・明らかになったのは、アレクサンドロスが政治や思想・文化に至るまで、各方面に刻印した即席の巨大さである。実を言えば、彼が直接残したものはごくわずかにすぎない。墓はいまだに発見されず、彼が各地に建設した都市アレクサンドリアも、エジプトのそれを例外としてほとんどが消滅した。大王を描いた彫像やモザイクはすべて後世に制作されたもので、原作は残っていない。にもかかわらずかれの巨大さを感じさせるのは一つにはアレクサンドロスが残した名前とイメージである」(森谷公俊著『アレクサンドロスの征服と神話』講談社学術文庫)。

 後世において、実態以上に神格化された人物だというわけです。

 アレクサンドロス大王は、おそらくその早逝もあり、イメージが先行し、現実にどういう人物だったのかは、あまり理解されないままに時が経ったのでしょう。そのため、大王にかぎらず、当時の歴史の実像の理解をねじ曲げられてしまったのです。

 東方遠征を開始したアレクサンドロス大王は、前330年に宿敵・アケメネス朝ペルシアを滅ぼしました。都であるペルセポリスでは徹底的な破壊と一般民衆の虐殺まで行いました。しかし、大王は行軍を止めませんでした。アケメネス朝の領土内を辿り、さらに東へ遠征を遂行したのです。

【地図2】アケメネス朝ペルシア ©アクアスピリット
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【地図3】アレクサンドロス大王の遠征図 ©アクアスピリット
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【地図2】は、アケメネス朝ペルシアの領土を、【地図3】は、アレクサンドロス大王の遠征図を示しています。

 これを見て分かるのは、大王の遠征は、実はアケメネス朝ペルシアの領土内の移動が大半であったということです。

 少し話が横道に逸れますが、「アレクサンドロス大王」のことを、ペルシア語やアラビア語では、「イスカンダル」と呼びます。この言葉、ある世代にはすぐにピンと来ると思いますが、松本零士氏の『宇宙戦艦ヤマト』に登場します。

遠征はアケメネス朝の商業ルートを利用していた

 放射能で汚染された地球を救うために、『ヤマト』は放射能除去装置コスモクリーナーを提供してくれるという星に向かうのですが、その星の名が「イスカンダル」でした。おそらく松本零士氏はアレクサンドロス大王の東方遠征にストーリーを重ねたのでしょう。

『ヤマト』の宇宙航海は、人跡未踏の航路を辿るもののように思えますが、よくよく考えてみると、イスカンダルの女王スターシャーが教えてくれた航路であったはずです。つまり艦長の沖田十三や乗組員の古代進たちには進むべき道が見えていたわけです。