日本の缶詰第一号、イワシは謎に満ちた魚だった

「弱」をつけられた魚の値打ち(前篇)

2018.07.13(Fri) 漆原 次郎
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 一方で、イワシという魚に対する人びとの評価は、高くはなかったようだ。鎌倉時代前期の説話集『古事談』からは、イワシは公家では食用とされていなかったことが窺える。また、1254(建長6)年成立の説話集『古今著聞集』でも、「麦飯に鰯あはせにて」とあり、粗食扱いされていたことが垣間見える。

「鰯」という字や読みの成り立ちについても、水から出るとすぐ死ぬ、あるいは柔弱で腐りやすい、つまり「弱(よわ)し魚」から来ているともされ、心象はやはりよくない。冒頭の諺「鰯の頭も信心から」も「イワシの頭のようにとるに足らぬものでも、信心があれば尊く見える」といった意味で、人びとがイワシを卑しく捉えてきた感覚が見て取れる。

人びとはイワシの真価を認めていた

 だが、時代が下っていくと、イワシを高く評価するような記述も見られる。

 室町時代には、宮中に仕える女房たちがイワシを「むらさき」「おむら」などと呼んだ。これは「藍(あい)」にまさる、つまり「鮎(あゆ)」より上という意味。このときは相当な評価がされていたようだ。

 江戸時代に入り1697(元禄10)年、人見必大(ひとみ・ひつだい)が著した本草書『本朝食鑑』でも「陰を滋し、陽を壮にし、気血を潤し、筋骨を強め、臓腑を補い、経路を通し、老を養い、弱を育て、人をして肥健、長生ならしむ」と、褒め称えている。大量に獲れる時期には、イワシは街に出回った。人びとは、日常食の一角をなす食材としてイワシの真価を認めたのだろう。

 イワシは、食用以外にもさまざまな用途で利用されてきた。油を灯火用に使った他、絞りかすから「〆粕」や「干し鰯」などにし、これらを田畑の肥料にしたのである。

 カタクチイワシを素干しにした料理を「田作り」とよぶが、これもイワシの肥料としての価値の高さに由来したものだろう。イワシなどの食生活を研究する今田節子は、「古くからの農耕との関わりが強いことに起因して、農作祈願を目的とする正月関連行事や農耕儀礼の供物としての位置付けをもってきたものと考えられる」と述べている。

カタクチイワシの田作り。「ごまめ」とも。
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1975年生まれ。神奈川県出身。出版社で8年にわたり理工書の編集をしたあと、フリーランス記者に。科学誌や経済誌などに、医学・医療分野を含む科学技術関連の記事を寄稿。日本科学技術ジャーナリスト会議理事。著書に『日産 驚異の会議』(東洋経済新報社)、『原発と次世代エネルギーの未来がわかる本』(洋泉社)、『模倣品対策の新時代』(発明協会)など。


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